高甫地域文化財史跡 のっこし

更新日:2024年03月26日

ページID: 1119

59番 のっこし(馬越峠)

のっこしの写真
記念碑の写真

下八町前山から長野市若穂山新田に抜ける道の峠である。
上杉謙信が通った「謙信道」が下八町参宮橋を通って、高井八守神社前から山沿いにのっこしを越えている。
前山地籍の果樹栽培を期に、車が通れる林道建設を計画。昭和43年6月に山新田線林道開設期成同盟会を結成、44年11月起工 47年11月竣工した。延長5,665メートル、工費4,737万円。
 

記念碑裏の碑文(原文は縦書き、漢数字)

林道下八町線は山新田を経て保科松代方面に通じ、往古 越智泰澄禅師が拓かれた道といわれ山新田街道とも云う。昔、天平年(729-749)中 聖武天皇諸国に国分寺を御建立せられるに当り禅師勅命を奉じ諸国を巡錫され善光寺に佛参ありける時朝に東を眺むれば三上山「明徳山」に五色の雲棚引くを見て佛法弘道の瑞雲なりと思召され三上山に登り絶頂なる開基岩のもとにて心を澄まし行われければ山の主なる白鬚の翁御姿を顕し吾は是八大竜王の本地明徳なり云々と言い終わりて御形は見えずなりにけり 禅師神の示現により九品の阿弥陀如来を御彫刻ありて欣求浄土の法門を説きたまいて衆生を済度したまうと共に白鬚大明神の御姿を彫刻して明徳山に祀られこれに通ずる道路を開かれしという「八丁村誌及び明徳神社由来記による」 爾来幾星霜地方文化の発展と共に人馬の往来繁かったが就中永禄4年(1561)9月川中嶋合戦の砌(みぎり)上杉謙信が数騎をしたがえてこの道を通り越後に落延びたという語り草は余りに有名である然るに時代の変遷と共に交通機関の発達により往来の人馬も絶え道路の荒廃極に達し林産物の搬出も意に委せずために昭和43年6月八丁山新田保科地区関係者相計り道路改良促進期成同盟会を結成長野須坂両市に陳情之が実現を期し国庫補助事業として4ケ年の工期を以って前線の開通を見る

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所在地:〒382-0911 長野県須坂市大字須坂747番地イ(常盤町)
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