須坂の水車
須坂市には昭和20年代まで、扇状地の作り出す自然の傾斜と豊かな水を利用して水車がかけられ、川筋にそってあちこちに水車の回る風景が見られました。水車は江戸時代中頃から盛んになり、菜種の搾油や精米・製粉を行い、明治初年には水車動力を器械製糸に利用してその後須坂の製糸業隆盛への原動力となりました。しかし現在では水車は姿を消し当時の様子を知る人も少なくなりました。
須坂市では水車を産業遺産として後世に残すため、信州大学工学部土本教授研究室により調査を行うことになりました。穀町にある「山崎の水車」は、江戸時代から精米・製粉業を営んできた水車屋で、山崎川の水を分水して直径3.6メートルの大きな水車を回し水車動力による精米・製粉をしていました。水車そのものは失われていますが動力となった水車小屋や川の引き込み跡などがそのまま残っています。他に、市街地を流れていた裏川用水を利用したO氏邸の水車遺構、百々川の支流からの分水によるA氏邸の水車遺構を調査しました。
須坂の歴史と自然地あ形の上に成り立った水車の有り様を記録として残し、新しい町づくりに生かす機会となるよう願うものです。
本調査は「蔵の町並みキャンパス事業」の一環として行われ、信州大学工学部4年島崎健さんの卒業論文にまとめられました。概要は下記リンク先ファイルをご覧ください。
須坂市における用水路と水車小屋との関係 (PDFファイル: 483.1KB)
水車跡分布図
旧高甫村上八町、野辺地区には、急流を流れる水を利用して、水車が多くかけられていました。明治以降水車業は減少し現在水車はすっかり姿を消しました。
右図はかつて水車のある場所を2万5千分の1に落とした地図です。
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更新日:2024年03月26日