須坂市の歴史年表 (大正時代)

更新日:2024年03月26日

ページID: 0321

大正時代(西暦:1912年~1926年)

大正時代(西暦:1912年~1926年)歴史年表
西暦(年)
和暦
月日
1912
大正元
7月30日     明治天皇が死去し大正天皇が即位する。
1912
大正元
12月8日 上高井政友同志会が須坂町長門座に300余名を集めて総会を開き、陸軍2箇師団増設反対を決議する。    
1912
大正元
なし この年須坂町の製糸工場数40、釜数5,781釜、職工数6,921人となる。    
1913
大正2
2月7日 米子硫黄鉱山で落盤事故発生。死者18名。開鉱以来の大惨事。    
1913
大正2
2月10日     護憲運動がさかんとなり、議会へのデモや警察署の襲撃が行なわれる。
1913
大正2
3月   千曲川治水会が結成される。  
1913
大正2
4月 校舎が狭いため、須坂町で尋常科1年生の2部授業を開始する。    
1913
大正2
8月31日 上信硫黄株式会社(元信濃硫黄株式会社)の経営の米子鉱山で鉱夫250人が賃上げを要求して事務所を襲う。    
1913
大正2
9月 台風が襲い、穀町竹田屋製糸所の5階倉庫が倒壊する。    
1913
大正2
なし 豊丘村にて国民党大会を開いて憲政擁護をさけぶ 諏訪郡平野村岡谷山一林組製糸の大争議がおこる。  
1913
大正2
なし 豊丘村小山の永井正吉がホップを試作する。    
1913
大正2
なし この年町村会議員の任期6年を4年とし、全員同時改選とする。    
1914
大正3
4月1日 上高井郡教育会『上高井郡誌』が発刊される。    
1914
大正3
5月     第1次世界大戦ぼっ発のため生糸相場が大暴落する(11月にその極に達し、1貫目2円50銭となる)。
1914
大正3
8月23日     日本が第1次世界大戦に参加する。
1914
大正3
なし 須坂町消防組が初めてガソリンポンプを購入する。   中山晋平が「カチューシャの唄」を作曲する。
1914
大正3
なし 須坂小学校中町部に、子守児童らのために特別学級を設ける。    
1915
大正4
1月18日     日本が中国に対華21カ条要求を提出する(5月25日調印)。
1915
大正4
6月 高井倉庫株式会社が創立される(資本金10万円)。   生糸相場が6月から再び好況となる。
1915
大正4
8月18日     第1回全国中等野球大会が開かれる。
1915
大正4
9月8日 仁礼村栃倉に大火があり、全39戸のうち33戸が被災し99棟を焼く。    
1915
大正4
10月23日 上高井連合青年会の発会式が行われる。    
1915
大正4
11月 須坂劇場開業記念興業として中村吉右衛門一座がやってくる。    
1915
大正4
12月2日 勝山忠三の『上高井歴史』が発刊される。    
1915
大正4
なし 須坂町北原の北信畜産組合が、練乳・バターの製造を始める。    
1916
大正5
5月11日   高井山の硫黄鉱山が開業する。  
1916
大正5
9月30日   松川上流の硫黄採掘紛争が一応の解決をみる(鉱毒問題)。  
1916
大正5
10月 信州1番格生糸の1,300円以下不売決議をする。

山丸組が蚕種部を相森に設ける。
   
1916
大正5
11月16日 須坂町の助役が有給となる。    
1916
大正5
なし この年須坂町の製糸工場数37、釜数5,778釜、職工5,270人、生産額390万円となる。 郡下に足踏脱穀機が導入され千歯こきがすたれる。  
1917
大正6
3月26日 憲政会北信支部が結成される。    
1917
大正6
4月20日 第13回衆議院総選挙に上高井郡政友会は小田切磐太郎を支持し、当選させる。    
1917
大正6
11月15日   県会が千曲川改修10ヵ年計画を決定する。  
1917
大正6
12月17日 上高井郡庁舎の開庁式を行う。    
1917
大正6
なし 高甫村村石より赤痢が発生し、患者60名中19名が死亡する。 スミス飛行士が丹波島河原に飛来する。各学校では引率見学をする。  
1917
大正6
なし 高甫村野辺の熊谷高之寿により、村内初めてのホップ栽培が行われる。    
1917
大正6
なし 須坂町町会議員選挙の有権者が、1級選挙人11名、2級選挙人263名となる。    
1918
大正7
1月8日     横浜生糸相場が大活況を呈する(10月には糸価大暴落)。
1918
大正7
2月 高井繭糸会社が設立される。    
1918
大正7
3月1日 坂田郵便局が開設される。    
1918
大正7
4月 町立須坂実科高等女学校が開設する。    
1918
大正7
6月 須坂繭糸会社が設立される。    
1918
大正7
8月     米騒動が起こる。以後1都3府32県に波及する(長野市は8月17日に起こる)。
1918
大正7
8月18日 須坂町が貧民266人に、白米購買券(時価白米1升36銭を25銭とした)を交付し、救済にのりだす(以後10月まで安売りが続く)。    
1918
大正7
11月14日 井上信用販売購買組合が設立される。    
1918
大正7
なし 須坂町に株式会社大倉組製糸所が開業する。

上高井郡連合青年団が第1回陸上競技大会を開く。

高畑殖産株式会社が設立される。

高水ホップ組合が大日本ビール会社と契約栽培を始める。

高甫村村石に電燈がつく。
   
1919
大正8
1月 義務教育を終わらない製糸工女の特別教育を、須坂小学校(中町部)に委託して実施する。    
1919
大正8
2月28日 須坂町が財源の確保のため、地租付加税・所得税付加税などを増額する。    
1919
大正8
2月     普通選挙が各地に広がる。
1919
大正8
3月29日 須坂町常盤町に営業用自動車が初めて登場する。    
1919
大正8
3月30日 米国絹業協会長チャーレス・チニー一行13名が須坂町の視察に来る。    
1919
大正8
なし   長野県養蚕組合連合会が設立される。  
1920
大正9
3月15日     株式・糸価が暴落し大恐慌が始まる。
1920
大正9
5月3日 仁礼村米子に火災があり、上米子50戸中37戸が被災する。    
1920
大正9
5月30日 河東鉄道株式会社が設立される(資本金5,000万円)。    
1920
大正9
10月1日 第1回国勢調査が実施された結果、須坂町の戸数2,258戸、人口14,009人となる。    
1920
大正9
10月11日 高井鉱山で樋沢鉄索開通式を行う。    
1921
大正10
2月 須坂小学校児童の66%がゴム靴をはく。    
1921
大正10
4月     町村会議員の等級選挙制の取りやめなど市町村制の改革を行う。
1921
大正10
11月   長野県庁に社会課を新設する。  
1921
大正10
なし 須坂町の人口1万5,008人中、男子5,291人、女子9,717人となる また製糸工場32、釜数4,987釜、職工数5,994人となる。 小串鉱山が発見され、東洋硫黄株式会社が採掘を開始する。  
1921
大正10
なし 北条守一が日野小学校長となり、自由教育を行う。    
1921
大正10
なし 日滝小学校事報告中に注入的教育法を排することをうたう。    
1922
大正11
4月9日     日本農民組合が結成される。
1922
大正11
4月25日 牧立製糸所製糸工・人足136人が賃上げのためストライキをおこし、要求を貫徹する(~28日)。    
1922
大正11
6月10日 河東鉄道須坂~屋代間が営業を開始する。    
1922
大正11
7月1日 豊丘村の字小山と坂田を須坂町に合併する。    
1922
大正11
9月 私立上高井幼稚園が開設される(仏教会が経営)。    
1922
大正11
12月 百々川の流路変更工事を始める(14年5月新百々川が完成)。    
1922
大正11
なし 仁礼・高甫村で養豚・養鶏組合 日野村塩川で養鯉組合などの副業組合ができる。    
1923
大正12
3月26日 河東鉄道須坂~中野間が開通する。    
1923
大正12
4月1日 郡制廃止により上高井町村学校組合が設立される。    
1923
大正12
4月9日 県立上高井中学校が開校する(校長 岩崎長思)。    
1923
大正12
4月22日 上高井中学校敷地(金井原町)で大競馬大会が行われる。    
1923
大正12
9月1日     関東大震災がおこり、デマ波及から朝鮮人虐殺事件が発生する。
1923
大正12
12月23日 「須坂小唄」が完成し、東京帝国劇場で試演される。    
1923
大正12
なし 洋画研究会(十人社の前身)が生まれる。    
1924
大正13
3月27日 仙仁山・仁礼山入会地の分割協定を8部落間で行う。    
1924
大正13
3月29日 信濃同仁会上高井支会の発会式を須坂小学校を会場として実施する。    
1924
大正13
4月23日   小諸町において、長野県水平社が創立される。  
1924
大正13
4月25日 町村自治拡大を目的として『須坂町報』の第1号が創刊される。    
1924
大正13
7月1日     メートル法の使用が始まる。
1924
大正13
7月11日 社会事業方面委員会第1回協議会が開かれる。    
1924
大正13
7月21日 須坂町社会事業協会が設立され、失業者・貧困者対策に乗り出す。    
1924
大正13
10月15日 須坂町上水道工事の起工式を行う(15年10月15日竣工式)。    
1924
大正13
なし 山丸組が長野製糸株式会社を設立する。

私立須坂保育園が設立される。
   
1925
大正14
1月3日 上高井職工組合が新年総会で賃金値上げを決定する。    
1925
大正14
1月27日 北信社会思想研究会のメンバー・町田惣一郎らが政治研究会北信支部結成大会に参加する。    
1925
大正14
4月22日     治安維持法が交布される。
1925
大正14
5月5日     衆議院議員の普通選挙法が公布され、25歳以上の男子に選挙権が与えられる。
1925
大正14
7月12日     東京放送局がラジオ放送を開始する。
1925
大正14
11月3日 須坂町営運動場並びにプールが建設される。    
1925
大正14
12月     『女工哀史』が出版される。
1925
大正14
なし 須坂小学校夏季保養所を創設し、虚弱児や障害児の健康増進をはかる。    
1926
大正15
1月 河東線が全線電化され、電車の運転を開始する(汽車を廃止)。    
1926
大正15
3月28日 皇太子の成婚記念として私立須坂図書館を設立する。    
1926
大正15
4月8日 越泰蔵を設立者とする私立須坂商業高校が開校する。    
1926
大正15
4月30日 村山の鉄橋が開通する。    
1926
大正15
5月16日 河東沿線第1回連合教育会を須坂小学校で開催する。    
1926
大正15
5月27日 高誠社製糸所の製糸工30人が監督者排斥を要求し、実現する。    
1926
大正15
9月 長野電気鉄道株式会社・河東鉄道株式会社の合併により長野電鉄株式会社が発足する。    
1926
大正15
12月9日     日本労農党が結成される。
1926
大正15
なし 須坂駅1ヵ年の乗降客が約7万2,000人となる。 郡役所が廃止される。  

この記事に関するお問い合わせ先

社会共創部 文化スポーツ課
所在地:〒382-8511 長野県須坂市大字須坂1528番地の1
電話番号:026-248-9027 ファックス:026-248-8825
お問い合わせフォーム
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
このページで分かりにくい部分はありましたか
このページにはどのようにアクセスしましたか
このページは見つけやすかったですか