須坂市の歴史年表 (大正時代)
大正時代(西暦:1912年~1926年)
西暦(年) 和暦 |
月日 | 市 | 県 | 国 |
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1912 大正元 |
7月30日 | 明治天皇が死去し大正天皇が即位する。 | ||
1912 大正元 |
12月8日 | 上高井政友同志会が須坂町長門座に300余名を集めて総会を開き、陸軍2箇師団増設反対を決議する。 | ||
1912 大正元 |
なし | この年須坂町の製糸工場数40、釜数5,781釜、職工数6,921人となる。 | ||
1913 大正2 |
2月7日 | 米子硫黄鉱山で落盤事故発生。死者18名。開鉱以来の大惨事。 | ||
1913 大正2 |
2月10日 | 護憲運動がさかんとなり、議会へのデモや警察署の襲撃が行なわれる。 | ||
1913 大正2 |
3月 | 千曲川治水会が結成される。 | ||
1913 大正2 |
4月 | 校舎が狭いため、須坂町で尋常科1年生の2部授業を開始する。 | ||
1913 大正2 |
8月31日 | 上信硫黄株式会社(元信濃硫黄株式会社)の経営の米子鉱山で鉱夫250人が賃上げを要求して事務所を襲う。 | ||
1913 大正2 |
9月 | 台風が襲い、穀町竹田屋製糸所の5階倉庫が倒壊する。 | ||
1913 大正2 |
なし | 豊丘村にて国民党大会を開いて憲政擁護をさけぶ | 諏訪郡平野村岡谷山一林組製糸の大争議がおこる。 | |
1913 大正2 |
なし | 豊丘村小山の永井正吉がホップを試作する。 | ||
1913 大正2 |
なし | この年町村会議員の任期6年を4年とし、全員同時改選とする。 | ||
1914 大正3 |
4月1日 | 上高井郡教育会『上高井郡誌』が発刊される。 | ||
1914 大正3 |
5月 | 第1次世界大戦ぼっ発のため生糸相場が大暴落する(11月にその極に達し、1貫目2円50銭となる)。 | ||
1914 大正3 |
8月23日 | 日本が第1次世界大戦に参加する。 | ||
1914 大正3 |
なし | 須坂町消防組が初めてガソリンポンプを購入する。 | 中山晋平が「カチューシャの唄」を作曲する。 | |
1914 大正3 |
なし | 須坂小学校中町部に、子守児童らのために特別学級を設ける。 | ||
1915 大正4 |
1月18日 | 日本が中国に対華21カ条要求を提出する(5月25日調印)。 | ||
1915 大正4 |
6月 | 高井倉庫株式会社が創立される(資本金10万円)。 | 生糸相場が6月から再び好況となる。 | |
1915 大正4 |
8月18日 | 第1回全国中等野球大会が開かれる。 | ||
1915 大正4 |
9月8日 | 仁礼村栃倉に大火があり、全39戸のうち33戸が被災し99棟を焼く。 | ||
1915 大正4 |
10月23日 | 上高井連合青年会の発会式が行われる。 | ||
1915 大正4 |
11月 | 須坂劇場開業記念興業として中村吉右衛門一座がやってくる。 | ||
1915 大正4 |
12月2日 | 勝山忠三の『上高井歴史』が発刊される。 | ||
1915 大正4 |
なし | 須坂町北原の北信畜産組合が、練乳・バターの製造を始める。 | ||
1916 大正5 |
5月11日 | 高井山の硫黄鉱山が開業する。 | ||
1916 大正5 |
9月30日 | 松川上流の硫黄採掘紛争が一応の解決をみる(鉱毒問題)。 | ||
1916 大正5 |
10月 | 信州1番格生糸の1,300円以下不売決議をする。 山丸組が蚕種部を相森に設ける。 |
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1916 大正5 |
11月16日 | 須坂町の助役が有給となる。 | ||
1916 大正5 |
なし | この年須坂町の製糸工場数37、釜数5,778釜、職工5,270人、生産額390万円となる。 | 郡下に足踏脱穀機が導入され千歯こきがすたれる。 | |
1917 大正6 |
3月26日 | 憲政会北信支部が結成される。 | ||
1917 大正6 |
4月20日 | 第13回衆議院総選挙に上高井郡政友会は小田切磐太郎を支持し、当選させる。 | ||
1917 大正6 |
11月15日 | 県会が千曲川改修10ヵ年計画を決定する。 | ||
1917 大正6 |
12月17日 | 上高井郡庁舎の開庁式を行う。 | ||
1917 大正6 |
なし | 高甫村村石より赤痢が発生し、患者60名中19名が死亡する。 | スミス飛行士が丹波島河原に飛来する。各学校では引率見学をする。 | |
1917 大正6 |
なし | 高甫村野辺の熊谷高之寿により、村内初めてのホップ栽培が行われる。 | ||
1917 大正6 |
なし | 須坂町町会議員選挙の有権者が、1級選挙人11名、2級選挙人263名となる。 | ||
1918 大正7 |
1月8日 | 横浜生糸相場が大活況を呈する(10月には糸価大暴落)。 | ||
1918 大正7 |
2月 | 高井繭糸会社が設立される。 | ||
1918 大正7 |
3月1日 | 坂田郵便局が開設される。 | ||
1918 大正7 |
4月 | 町立須坂実科高等女学校が開設する。 | ||
1918 大正7 |
6月 | 須坂繭糸会社が設立される。 | ||
1918 大正7 |
8月 | 米騒動が起こる。以後1都3府32県に波及する(長野市は8月17日に起こる)。 | ||
1918 大正7 |
8月18日 | 須坂町が貧民266人に、白米購買券(時価白米1升36銭を25銭とした)を交付し、救済にのりだす(以後10月まで安売りが続く)。 | ||
1918 大正7 |
11月14日 | 井上信用販売購買組合が設立される。 | ||
1918 大正7 |
なし | 須坂町に株式会社大倉組製糸所が開業する。 上高井郡連合青年団が第1回陸上競技大会を開く。 高畑殖産株式会社が設立される。 高水ホップ組合が大日本ビール会社と契約栽培を始める。 高甫村村石に電燈がつく。 |
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1919 大正8 |
1月 | 義務教育を終わらない製糸工女の特別教育を、須坂小学校(中町部)に委託して実施する。 | ||
1919 大正8 |
2月28日 | 須坂町が財源の確保のため、地租付加税・所得税付加税などを増額する。 | ||
1919 大正8 |
2月 | 普通選挙が各地に広がる。 | ||
1919 大正8 |
3月29日 | 須坂町常盤町に営業用自動車が初めて登場する。 | ||
1919 大正8 |
3月30日 | 米国絹業協会長チャーレス・チニー一行13名が須坂町の視察に来る。 | ||
1919 大正8 |
なし | 長野県養蚕組合連合会が設立される。 | ||
1920 大正9 |
3月15日 | 株式・糸価が暴落し大恐慌が始まる。 | ||
1920 大正9 |
5月3日 | 仁礼村米子に火災があり、上米子50戸中37戸が被災する。 | ||
1920 大正9 |
5月30日 | 河東鉄道株式会社が設立される(資本金5,000万円)。 | ||
1920 大正9 |
10月1日 | 第1回国勢調査が実施された結果、須坂町の戸数2,258戸、人口14,009人となる。 | ||
1920 大正9 |
10月11日 | 高井鉱山で樋沢鉄索開通式を行う。 | ||
1921 大正10 |
2月 | 須坂小学校児童の66%がゴム靴をはく。 | ||
1921 大正10 |
4月 | 町村会議員の等級選挙制の取りやめなど市町村制の改革を行う。 | ||
1921 大正10 |
11月 | 長野県庁に社会課を新設する。 | ||
1921 大正10 |
なし | 須坂町の人口1万5,008人中、男子5,291人、女子9,717人となる また製糸工場32、釜数4,987釜、職工数5,994人となる。 | 小串鉱山が発見され、東洋硫黄株式会社が採掘を開始する。 | |
1921 大正10 |
なし | 北条守一が日野小学校長となり、自由教育を行う。 | ||
1921 大正10 |
なし | 日滝小学校事報告中に注入的教育法を排することをうたう。 | ||
1922 大正11 |
4月9日 | 日本農民組合が結成される。 | ||
1922 大正11 |
4月25日 | 牧立製糸所製糸工・人足136人が賃上げのためストライキをおこし、要求を貫徹する(~28日)。 | ||
1922 大正11 |
6月10日 | 河東鉄道須坂~屋代間が営業を開始する。 | ||
1922 大正11 |
7月1日 | 豊丘村の字小山と坂田を須坂町に合併する。 | ||
1922 大正11 |
9月 | 私立上高井幼稚園が開設される(仏教会が経営)。 | ||
1922 大正11 |
12月 | 百々川の流路変更工事を始める(14年5月新百々川が完成)。 | ||
1922 大正11 |
なし | 仁礼・高甫村で養豚・養鶏組合 日野村塩川で養鯉組合などの副業組合ができる。 | ||
1923 大正12 |
3月26日 | 河東鉄道須坂~中野間が開通する。 | ||
1923 大正12 |
4月1日 | 郡制廃止により上高井町村学校組合が設立される。 | ||
1923 大正12 |
4月9日 | 県立上高井中学校が開校する(校長 岩崎長思)。 | ||
1923 大正12 |
4月22日 | 上高井中学校敷地(金井原町)で大競馬大会が行われる。 | ||
1923 大正12 |
9月1日 | 関東大震災がおこり、デマ波及から朝鮮人虐殺事件が発生する。 | ||
1923 大正12 |
12月23日 | 「須坂小唄」が完成し、東京帝国劇場で試演される。 | ||
1923 大正12 |
なし | 洋画研究会(十人社の前身)が生まれる。 | ||
1924 大正13 |
3月27日 | 仙仁山・仁礼山入会地の分割協定を8部落間で行う。 | ||
1924 大正13 |
3月29日 | 信濃同仁会上高井支会の発会式を須坂小学校を会場として実施する。 | ||
1924 大正13 |
4月23日 | 小諸町において、長野県水平社が創立される。 | ||
1924 大正13 |
4月25日 | 町村自治拡大を目的として『須坂町報』の第1号が創刊される。 | ||
1924 大正13 |
7月1日 | メートル法の使用が始まる。 | ||
1924 大正13 |
7月11日 | 社会事業方面委員会第1回協議会が開かれる。 | ||
1924 大正13 |
7月21日 | 須坂町社会事業協会が設立され、失業者・貧困者対策に乗り出す。 | ||
1924 大正13 |
10月15日 | 須坂町上水道工事の起工式を行う(15年10月15日竣工式)。 | ||
1924 大正13 |
なし | 山丸組が長野製糸株式会社を設立する。 私立須坂保育園が設立される。 |
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1925 大正14 |
1月3日 | 上高井職工組合が新年総会で賃金値上げを決定する。 | ||
1925 大正14 |
1月27日 | 北信社会思想研究会のメンバー・町田惣一郎らが政治研究会北信支部結成大会に参加する。 | ||
1925 大正14 |
4月22日 | 治安維持法が交布される。 | ||
1925 大正14 |
5月5日 | 衆議院議員の普通選挙法が公布され、25歳以上の男子に選挙権が与えられる。 | ||
1925 大正14 |
7月12日 | 東京放送局がラジオ放送を開始する。 | ||
1925 大正14 |
11月3日 | 須坂町営運動場並びにプールが建設される。 | ||
1925 大正14 |
12月 | 『女工哀史』が出版される。 | ||
1925 大正14 |
なし | 須坂小学校夏季保養所を創設し、虚弱児や障害児の健康増進をはかる。 | ||
1926 大正15 |
1月 | 河東線が全線電化され、電車の運転を開始する(汽車を廃止)。 | ||
1926 大正15 |
3月28日 | 皇太子の成婚記念として私立須坂図書館を設立する。 | ||
1926 大正15 |
4月8日 | 越泰蔵を設立者とする私立須坂商業高校が開校する。 | ||
1926 大正15 |
4月30日 | 村山の鉄橋が開通する。 | ||
1926 大正15 |
5月16日 | 河東沿線第1回連合教育会を須坂小学校で開催する。 | ||
1926 大正15 |
5月27日 | 高誠社製糸所の製糸工30人が監督者排斥を要求し、実現する。 | ||
1926 大正15 |
9月 | 長野電気鉄道株式会社・河東鉄道株式会社の合併により長野電鉄株式会社が発足する。 | ||
1926 大正15 |
12月9日 | 日本労農党が結成される。 | ||
1926 大正15 |
なし | 須坂駅1ヵ年の乗降客が約7万2,000人となる。 | 郡役所が廃止される。 |
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更新日:2024年03月26日