須坂市の歴史年表 江戸時代(西暦:1603年~1869年)

更新日:2024年03月26日

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江戸時代(西暦:1603年~1868年)

江戸時代(西暦:1603年~1868年)歴史年表
西暦(年)
和暦
月日
1603
慶長8
2月   家康6男松平忠輝が松城(松代)城主となり北信濃4郡を支配する。 家康が征夷大将軍に任命され、徳川幕府を開く。
1603
慶長8
なし   松平忠輝が走り百姓還住政策を始める。  
1604
慶長9
9月   北信濃4郡草山年貢帳がつくられる。  
1608
慶長13
6月 松平忠輝が小山村興国寺に臥竜山を寄進し門前を守護不入とする。    
1610
慶長15
なし 堀直重が須坂領6000石を与えられる。 松平忠輝が越後福島城に移り、越後と北信濃を支配する。  
1610
慶長15
閏2月   堀直奇が飯山城主となる。  
1610
慶長15
9月   松平忠輝が、北国往還の福島宿などへ宿場条目を出す。  
1611
慶長16
なし 福島宿などに伝馬証文が出され、公許される。    
1614
慶長19
10月   大坂冬の陣がおこり、北信濃の諸大名も参戦する。  
1614
慶長19
なし   旗本小笠原忠知が高井郡に入封する。  
1615
元和1
5月     大坂冬の陣によって、豊臣氏がほろびる。
1615
元和1
7月7日     幕府が、武家諸法度などを定める。
1615
元和1
なし 堀直重に4000石が加封される(須坂藩の成立)。    
1616
元和2
7月   松平忠輝が改易される。  
1616
元和2
なし   北信濃に幕府領が成立する、代官井上新左衛門が高井野村に 松平清左衛門が中野村に陣屋を構える。  
1616
元和2
10月   堀直奇が越後長岡へ転封となり、佐久間安政が飯山にはいる。  
1616
元和2
なし   松平忠昌が松城(松代)城主となる。  
1617
元和3
12月 塩野村の才兵衛が小笠原忠知の許可をうけ 北原の新田開発をおこなう(~寛永4年12月)。    
1618
元和4
4月 旗本河野氏勝が相之島村・中野村に入封する。    
1618
元和4
なし   このころ松平忠昌が越後高田へ移り、酒井忠勝が松城へ入封する。

旗本村上源助が北信濃に入封する。
 
1619
元和5
なし 福島正則が広島から高井郡に流され、須坂地方の一部を支配する。    
1620
元和6
なし 堀直升が須坂藩の地詰検地をおこなう(~7年)。    
1621
元和7
11月 福島村の理右衛門が千曲川沿いに320石余の新田開発を始める(~寛永1年)。   福島忠勝(正則の子)が没し、正則は越後2万5000石を幕府に返す。
1621
元和7
なし 福島正則が領内の検地をおこなう。    
1622
元和8
なし   酒井忠勝が出羽へ転封となり、真田信之が上田より松城へ入封する。  
1623
元和9
なし 勝善寺が八町より須坂へ移る。    
1624
寛永1
7月 福島正則が没し、2万石が幕府に没収される。子正利が改めて3000石をつぐ    
1624
寛永1
なし     幕府が五人組をおきはじめる。
1626
寛永3
なし 八町村と井上村の用水論に決着がつく。   小笠原忠知が領内検地をはじめる(~7年)。
1627
寛永4
なし 堀直升が寿泉院を再興する。    
1628
寛永5
なし 堀直升が須坂藩の地詰検地をはじめる(~寛永6年)。    
1631
寛永8
4月 小笠原忠知の奉行が中島村通水を井上村に命ずる。    
1631
寛永8
なし     小笠原忠知が上総・下総地方へ転封となり、所領は幕府領となる。
1635
寛永12
なし     参勤交代の制度が定まる。
1637
寛永14
10月     島原の乱がおこる(~寛永15年2月)。
1637
寛永14
なし 福島正利が没し、3000石が幕府領となる。    
1639
寛永16
7月 浄念寺が藩主の命により、新町から春木町へ移転する。   幕府がポルトガル船の来航を禁止する(鎖国の完成)。
1641
寛永18
なし   寛永の大ききんがはじまり、北信濃一帯も被害を受ける(~寛永20年)。  
1642
寛永19
4月   真田信之が給人に地方知行に関する定書を出す。  
1643
寛永20
3月     幕府が田畑の永代売買を禁止する。
1646
正保3
なし   綿内村に溜池が築かれる。  
1647
正保4
なし 井上村の亀倉奥山への入会権をめぐり、井上村と亀倉村が争う(慶安4年再発)。    
1649
慶安2
2月     慶安の御触書や検地条目がでる。
1649
慶安2
なし 灰野入7カ村入会と塩野村内山との境界論がおこる(正徳3年再発)。   慶安の変
1650
慶安3
なし 仁礼・大笹宿が北国街道の宿駅との争いに勝訴し、大笹街道が、北国脇往還として公許される。    
1655
明暦1
なし   松川用水14ヵ村と飯田・大島村の水論がおこる(~明暦2年)。  
1656
明暦2
なし 相森新田が成立する。    
1661
寛文1
なし 甲府松平綱重が幸高ほか高井郡24カ村を領地する。    
1662
寛文2
なし 大笹宿に関所ができる。    
1663
寛文3
6月7日 八町・井上両村の鮎川用水論がおこる。    
1664
寛文4
なし 村石新田村が成立する。    
1666
寛文6
なし   松代藩の指出検地がおこなわれる。  
1674
延宝2
なし   松代藩に松代条目ができる。  
1676
延宝4
なし このころ須坂地方の幕府領の検地がおこなわれる(延宝検地)。 福井原秣の所有をめぐり、高井野入23カ村と牧村が争う(~5年)。  
1682
天和2
なし 坂木の板倉重種が幸高ほか7カ村を領地する。 松代藩による越後高田検地がおこなわれる。  
1687
貞享4
1月     幕府が生類憐みの令を発布しはじめる。
1692
元禄5
なし   甲府領中条村などが貢租の天領並み金納を歎願して認められる。  
1701
元禄14
4月13日 千曲川の大洪水により特に相之島村が被害をうける。    
1701
元禄14
なし 須坂地方の一部が、甲府徳川綱豊領から幕府領にもどる。    
1702
元禄15
12月14日     大石良雄ら(赤穂浪士)が主君の仇討をする。
1702
元禄15
なし このころ須坂地方の村々に組頭役が設けられる。 坂木の板倉重寛が奥州福島へ移封となり、所領は幕府領となる。  
1704
宝永1
なし 高井野入23カ村と八重森村が入会権の有無をめぐり争う。 幕府代官平岡彦兵衛が坂木陣屋を本格的に使いはじめる。  
1709
宝永6
1月     新井白石が6代将軍家宣に登用される。
1710
宝永7
なし 八町村で草山出入がおこる(宝暦8年再発)。   幕府領で、年貢が全面的に代金納になる。
1710
宝永7
なし このころ須坂町穀商が穀市をたてる。    
1712
正徳
なし     幕府領で、酒造運上等雑税が増加する。
1716
享保1
なし     吉宗が8代将軍となり、享保の改革をおしすすめる(~延享2年9月)。
1719
享保4
なし 米子村の竹前権兵衛が硫黄を採掘し、幕府に上納する。    
1720
享保5
なし 仙仁入11カ村と小県郡57カ村の四阿山をめぐる境界論がおこる(~享保7年)。    
1721
享保6
8月     幕府が目安箱を設ける。
1722
享保7
7月     幕府が新田開発を奨励する。
1724
享保9
6月     幕府が倹約令を出す。
1724
享保9
なし 墨坂八幡宮の社内日市が再開する。 幕府代官松平九郎左衛門が北信濃幕領に定免制を布告する。  
1726
享保11
なし 米子村の竹前権兵衛 小八郎が、越後紫雲寺潟の干拓を願い出る。    
1728
享保13
なし 亀倉村と野辺村が亀倉奥山の内山をめぐり争う。 松代藩で家臣の半知借高制がはじまる。 幕府領で定免制反対の訴願闘争がおこる。
1728
享保14
なし   高井野入23カ村が入会採取物をめぐり争う。  
1730
享保15
なし   高井野入23カ村と牧村が新田開発をめぐり争う。  
1731
享保16
なし 享保のききんがはじまり、須坂地方の村々も被害をうける(~享保20年)。    
1732
享保17
なし 紫雲寺干拓地のうち500町歩が竹前権兵衛に与えられる。    
1734
享保19
なし 須坂地方の幕府領村々に百姓代がおかれる。 このころ石代納仕法改悪反対の訴願が北・東信幕府領におこる。 幕府領の破免規定が定まる。
1739
元文4
なし   高井郡・水内郡下郷の幕府領村々が、安石代を江戸に出訴する。  
1739
元文4
なし このころ須坂地方の村々で村入用夫銭帳 村勘定帳などがつくられる。 松代藩の頭立制が制度化される。  
1742
寛保2
4月     公事方御定書百ヵ条が制定される。
1742
寛保2
なし 千曲川の大水害がおこる(戌の満水)。    
1743
寛保3
なし 井上村中馬と仁礼宿の争論がおこる(~延享2年)。    
1745
延享2
なし 井上村・仁礼村中馬争論により、商農荷物の宿継ぎが禁止される(~明和7年)。    
1746
延享3
なし 幸高など幕府領村々が、年貢金の皆済納期納入を訴願する。    
1749
寛延2
なし 大谷村で村入用の負担をめぐり、村方騒動がおこる。    
1750
寛永3
なし 八町村で草山出入がおこり、上・下八町の組分けがおこなわれる。

小山八幡神社が社号を吉田家に願い出る。
   
1751
寛永4
なし   松代藩領西山中73カ村の農民が田村半右衛門の政治に反対し一揆をおこす。  
1752
宝暦2
なし 日滝村の組頭・百姓代が名主罷免を要求する。    
1754
宝暦4
なし 中島村で年貢勘定不正をめぐり、村方騒動がおこる(~宝暦11年)。 恩田木工が松代藩の家老となり、藩政改革をおこなう(~宝暦12年)。  
1757
宝暦7
なし     幕府代官天野助次郎が新たに百姓持山に山年貢をかける。
1759
宝暦9
11月 小山村上新田に穀市が立てられ須坂穀町と称することが許可される。    
1759
宝暦9
なし   坂木陣屋が焼失し、中之条陣屋がこれにかわる。  
1762
宝暦12
なし 小河原村で小作騒動がおこる。    
1763
宝暦13
なし 小河原村で名主不正をめぐり村方騒動がおこる。 小林一茶が生まれる。  
1763
宝暦13
なし このころ松代・須坂両藩で、肝煎を名主と改称する。 松代藩109カ村の地詰め検地がおこなわれる。  
1764
明和1
なし 大笹宿の中馬の付通しが禁止される(明和の裁許)。    
1767
明和4
なし     田沼意次が将軍側用人となる(~天明6年 老中罷免)。
1770
明和7
なし 小河原村で名主不正出入がおこる。    
1771
明和8
なし 中島村で村役人の年貢皆済不正をめぐり、村方騒動がおこる。   幕府村々が江戸廻米反対の訴願闘争をする。
1772
安永1
なし 須坂地方の幕府領村々で冥加・運上政策がはじまる。    
1773
安永2
なし     幕府が廻米政策を放棄する。
1774
安永3
11月 須坂藩で穀取締りの触が出る。    
1774
安永3
なし 須坂地方の幕領村々の農民が、年貢米3月皆済を訴願する。    
1775
安永4
なし 本郷の蓮生寺へ俳諧の額が奉納される。    
1776
安永5
9月 須坂藩領で須坂・塩川等の煙草仲間ができる。    
1776
安永5
なし 松川用水論争がおこる。    
1777
安永6
1月12日   木島平村々より年貢米正月皆済に反対し、騒動がおこる(安永の中野騒動)。  
1777
安永6
9月   幕府が中野騒動厳罰を例示した強訴・徒党禁止をだす。  
1777
安永6
なし   中村習輔が信濃国で心学の布教を開始する。  
1782
天明2
なし 堀直郷の命により時鐘が建設される。    
1783
天明3
7月6日 天明の大飢饉により、須坂地方も被害をうける(~天明6年)。 浅間山が噴火をする。  
1783
天明3
11月     幕府が徒党禁止令を出す。
1783
天明3
12月 米子町村が飢人夫食拝借願を代官所にだす。    
1783
天明3
なし 中沢道二が須坂藩家臣富田魯庵に琢磨礼を与える。    
1784
天明4
1月     幕府が博奕・無宿人止宿禁止令をだす。
1785
天明5
2月 下八町で不作のため 倹約申し合わせを取り決める。    
1786
天明6
なし 中村習輔が本格的に心学の布教をおこなう。

本郷の蓮生寺へ高良祐により俳諧の額が奉納される。
   
1787
天明7
7月     寛政の改革がはじまる(~寛政5年)。
1788
天明8
なし 井上村で貯穀がはじまる。

このころ須坂藩に教倫舎が設立される。
   
1789
寛政1
10月   中野代官野村八蔵が油の原料品目の調査をおこなう。  
1790
寛政2
8月 須坂藩主堀直晧が33カ条の領内法度をだす。    
1790
寛政2
10月     幕府が、幕領・私領を問わず諸国に郷蔵を造らせ 備荒貯蓄を命ずる。
1790
寛政2
なし 堀直晧が心学の本心会得をすませ 断書を受領する。 水内郡西大滝村の太左衛門が千曲川通船を認められる。  
1790
寛政2
なし 福島宿が千曲川通船の着船場となる。    
1792
寛政4
5月     林子平が「海国兵談」刊行で処罰される。
1792
寛政4
6月 八重森で名主入札をめぐり出入りがおこる。    
1792
寛政4
なし   中野代官所に手附がおかれる。  
1793
寛政5
2月   中野代官河尻甚五郎が通俗道徳の教諭論をだす。  
1793
寛政5
7月 中野・小布施・須坂・川辺の町・在の油屋仲間組合ができる。    
1794
寛政6
なし 井上・八町両村の鮎川よりの用水の分水法がかわる。

高井野村と日滝村のあいだに樋沢川をめぐる水論がおこる。
   
1795
寛政7
なし 上河淇水が魯庵に「理学字義解」を贈る。    
1798
寛政10
4月   北信地方の幕府領に取締役が設置される。  
1799
寛政11
なし 須坂藩主堀直晧が大鐘を改鋳し、陣屋の北廊にたてる。    
1800
寛政12
なし このころ三原道が公認される。 松代藩で小前百姓の村役人就任が1人だけ認められる。  
1801
享保1
なし 本郷の蓮生寺へ狂歌の額が奉納される。 中之条代官所支配地に取締役がおかれる。  
1802
享保2
なし 堀直晧が亀田弘人を直興の心学伝役に命ずる。    
1803
享保3
なし   松代藩で、小作料の相対決済方式が禁止される。  
1804
文化1
なし 須坂藩で年貢米の納め方に関する触が出される。

米子村と亀倉村が山境をめぐり争う。
   
1807
文化4
なし 堀直興が上河淇水から「朝倉雑談」を贈られる。    
1808
文化5
3月 小河原村で村役人の不正追及出入りがおこる このころから天保期にかかけて村方騒動が多発する。    
1810
文化7
3月24日 小林一茶ほか2名の判者による俳諧の額が奉納される。    
1813
文化10
なし 仙仁村で山論がおこり、百姓割山がなされる(~文政2年)。    
1814
文化11
なし 井上・八町両村のあいだに 鮎川よりの分水法をめぐり水論がおこる。    
1815
文化12
4月 須坂藩でえた・非人取締りの達しがだされる。    
  なし   松代藩で「御手入村」制度が実施される。  
1816
文化13
5月24日 小林一茶が浄運寺にくる。    
1816
文化13
9月21日 小林一茶が高梨にくる。    
1816
文化13
9月23日 小林一茶が興国寺から浄運寺へ行く。    
1816
文化13
なし 八町村が年貢免の引き下げを訴え出る。

更級郡丹場島村の岡沢与左衛門が高畑の新田開発を願い出る。
幕府領で「荒地起返并に小児養育御手充金」制度が実施される。  
1817
文化14
なし 亀倉奥山での竹採取をめぐり、米持村と亀倉村ほか2カ村村が争う。 このころ松代藩での別家・借地別家身分が新設される。  
1818
文政1
なし 十返舎一九が善光寺から草津温泉への取材途中の仁礼宿を通過する。    
1819
文政2
なし 六川入作地の刈敷をめぐり、相森新田と六川入作の者が争う。 松代藩では頭立層が再編される。  
1820
文政3
4月   松代藩で、村役人の頭立・小作入交り選任が認められる。  
1821
文政4
1月 教論舎(立成館)が沼目村大沢章兵衛に預けられる。    
1821
文政4
6月 井上・八町両村で渇水時の分水法について取り決めをする。    
1821
文政4
7月     伊能忠敬が「大日本沿海実測図」を寛政する。
1821
文政4
なし 飢饉により須坂地方村々も被害をうける(~文政8年)。

幸高・中島・村山・相之島村等が松代藩預り所となる。
   
1822
文政5
4月21日 小林一茶が高梨へくる。    
1822
文政5
なし 高井野・牧両村と日滝3カ村が炭焼をめぐり争う。    
1823
文政6
6月29日 小林一茶が墨阪の田中家へくる。    
1824
文政7
なし   松代藩に糸会所が設置される。  
1825
文政8
2月     外国船打払い令が出される。
1825
文政8
なし   中野代官所支配地の取締りが任命されなおされる。  
1829
文政12
3月 菊池行蔵が須坂藩に儒官として召しかかえられる。 このころ草津道が公認される。  
1832
天保3
11月 仁礼村で小作料の減額を要求して小作騒動がおこる(~天保4年)。    
  なし 仁礼村若者が手踊り・狂言を興行しとがめられる。 松代藩に産物改所が設置される。  
1833
天保4
11月 須坂藩に川東煙草商人仲間ができる。    
1833
天保4
なし 須坂横町の孫太、綿内村久米松が薬用人参の栽培を藩へ願い出る。 千曲川通船が松代まで延長される。  
1833
天保4
なし 天保の大飢饉により須坂地方の村々も被害をうける(~天保8年)。    
1835
天保6
なし 亀倉内山をめぐり、野辺・亀倉両村が争う(~天保10年)。    
1836
天保7
なし   中野天領および松代藩が穀留めをおこなう。  
1837
天保8
1月 井上村村役人の酒造をめぐり、村方騒動がおこる。    
1837
天保8
2月     大塩平八郎の乱がおこる。
1837
天保8
なし   松代藩で紬専売が中止される。  
1838
天保9
なし 日滝3カ村・高井野村と牧村が炭焼きをめぐり争う(~天保10年)。    
1839
天保10
7月   中野代官所支配地の取締役の任務に米市場の監視が加わる。  
1839
天保10
12月     蛮社の獄がおこる。
1840
天保11
10月   中野代官所支配地の取締役のいっせい再任命がなされる。  
1841
天保12
5月 代官北条雄之助が中野入りし、天保の改革が須坂地方幕府領でも本格的におしすすめられる。   水野忠邦が老中となり、天保の改革をおこなう(~14年閏9月)。
1841
天保12
9月   中野代官所支配地に郡中取締役が任命される。  
1841
天保12
なし 須坂藩でえた・非人取締り令がだされる。 北条雄之助が代官所内に穀倉を増設する。  
1841
天保12
なし   松代藩主真田幸貫が倹約令を出す。  
1842
天保13
10月 須坂藩で諸品値下げ・職人手間賃等の取締令が出される。    
1842
天保13
12月   中野代官所の家屋が増設される。  
1842
天保13
なし     幕府は 農民が農業以外の業に従事することを禁ずる。
1843
天保14
なし このころ須坂町に糸仲間ができる。

須坂町で製糸業が発展する。
北信幕領村々が天保改革増税・御用金増徴に反対し江戸に出訴する。 幕府の柏木誠太夫が天保の改革督励のため廻村する。
1845
弘化2
なし 須坂藩主堀直武が吉向父子を招き 吉向焼を製作させる(~嘉永6年)。    
1846
弘化3
なし 相森新田と日滝3カ村が、日滝原の秣刈をめぐり争う。    
1847
弘化4
なし   弘化の大地震(善光寺地震)による犀川・千曲川の大洪水で、水内・高井両郡の村々が被害をうける。  
1849
嘉永2
なし 扇子平への入会権をめぐり、下灰野と上灰野が争う。    
1850
嘉永3
なし 藩政改革をはじめる。 松代藩で佐久間象山立案 甘草・杏仁の専売制が実施される。  
1850
嘉永3
なし 石田小右衛門知白斉が須坂藩に招かれ、領内改革をおこなう。    
1852
嘉永5
なし   松代藩の文武学校が開設される。  
1853
嘉永6
6月3日     アメリカの使節ペリーが浦賀にくる。
1854
嘉永7
3月3日     日米和親条約が結ばれる。
1854
嘉永7
なし 須坂藩主堀直格が「扶桑名画伝」を完成する。    
1855
安政2
なし 八町村の桐原大元神社へ俳諧の額が奉納される。    
1857
安政4
なし 井上村で小前百姓の村役人参加をめぐる村方騒動がおこる。    
1858
安政5
6月19日     日米修好通商条約が結ばれる。
1858
安政5
なし 須坂藩主堀直格が日滝村・相森道・八幡道の整備をはじめる。    
1859
安政6
なし     安政の大獄がおこる。
1860
安政7
3月3日     桜田門外の変がおこる。
1860
万延1
なし 須坂藩主堀直虎が心学者を処断し、教倫者を閉者する。

堀直虎が警備策を著す。
   
1861
文久1
10月20日     和宮が江戸に降嫁する。
1861
文久1
12月 須坂藩主堀直虎が藩政改革をはじめる。    
1863
文久3
7月2日     薩英戦争がはじまる。
1863
文久3
なし 井上・八町両村のあいだに水論がおこる。    
1864
元治1
8月2日     幕府が第1次長州征伐をおこなう。
1864
元治1
8月5日     下関戦争がおこる。
1865
慶応1
なし 堀直虎が軍制をイギリス式に改革する。 松代藩内23カ所に産物会所が設けられる。  
1865
慶応1
なし 八重森村と高井野入23カ村が小作山籾をめぐり争う。    
1866
慶応2
2月21日     薩長同盟が成立する。
1866
慶応2
6月7日     幕府が第2次長州征伐をおこなう。
1866
慶応2
7月   北信幕府領で取締役配下に農兵隊がつくられる。  
1866
慶応2
なし 須坂藩で生糸売買が免許制になる。    
1867
慶応3
3月23日 原嘉道(司法大臣・枢密院議長)が生まれる。    
1867
慶応3
10月14日     大政奉還がおこなわれる。
1867
慶応3
12月9日     王政復古の大号令がだされる。
1868
慶応4
1月3日     戊辰戦争が始まる。
1868
慶応4
1月17日 須坂藩13代藩主堀直虎が、江戸城で諌死する(33歳)    
1868
慶応4
2月   中野代官所が尾州藩取締所となる。

北信幕府領で取締役の不正を訴える強訴がおこる。
 
1868
慶応4
3月4日 須坂・松代両藩が、飯山戦争に出兵する。    
1868
慶応4
3月14日     五カ条の御誓文・五榜の掲示がだされる。
1868
慶応4
4月2日   松代藩主が、朝廷から信州11藩の触頭を命じられる。  
1868
慶応4
閏4月6日 須坂藩・松代藩など信州11藩が北越戦争に出兵する(~慶応10月24日)。    
1868
慶応4
5月8日   千曲川が大洪水となり、堤防が決壊する。  
1868
慶応4
7月     江戸を東京と改称する。
1868
慶応4
8月   旧幕府領を治める伊那県が成立し、中野に分局をおく。  

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所在地:〒382-8511 長野県須坂市大字須坂1528番地の1
電話番号:026-248-9027 ファックス:026-248-8825
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