須坂市の歴史年表 紀元前~飛鳥時代(西暦:紀元前~710年)
紀元前~飛鳥時代(西暦:紀元前~710年)
西暦(年) 和暦 |
月日 | 市 | 県 | 国 |
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BC12000 | なし | 先土器時代人が宇原遺跡(東地区仁礼)にその痕跡を残す。 | 寒気な気候が続き 針葉樹林や草原がひろがる。 主に細石器が使われるようになる。 磨製石器が一部で使われるようになる。 |
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BC10000 | なし | 縄文時代に入り、石小屋洞穴(東地区仁礼山)に人が住みはじめる--草創期 | 弓矢が使われ、土器が発明される。 洪積世から沖積世となり、現在と同じような気候となる。 |
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BC7000 | なし | 菖蒲沢岩陰(東地区仙仁山)に人が住みはじめる--早期 | 土器の底が丸底から尖底となり、器壁に繊維を含むようになる。 | |
BC7000 | なし | 石小屋洞穴(仁礼地区仙仁山)や菖蒲沢岩陰(仁礼地区仙仁山)など、山岳地帯で狩猟が盛んに行われる。 | 土器の文様として縄文が多用されはじめる。 | |
BC5000 | なし | 須坂地方では頭山遺跡(東地区西原)などの山間地に人が住むようになる--前期 | 土器は尖器から平底となり、のち繊維を含まなくなる。 気候が温暖化し、植物採集の生活が活発になる。 |
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BC3500 | なし | 三入道遺跡(高甫地区上八町)に生活の痕跡を残す--中期 | 土器は豪華になり、各地で独自の発達をする。 人口が増加し、丘陵や台地では大集落が営まれるようになる。 |
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BC2000 | なし | 橋場遺跡(日滝地区本郷)に集落が営まれるようになる--後期 | 敷石住居や配石遺構が多くなる。 精製土器と粗製土器がつくられるようになる。 気候の寒冷化が進む。 |
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BC1000 | なし | 縄文時代の遺跡が減少し、お天神遺跡(東地区塩野)にわずかにその痕跡を残すのみとなる--晩期 | 北九州に稲作や金属器が伝わり、弥生時代となる--前期 東日本では縄文時代末期の遺跡が営まれる。 |
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AD | なし | 須坂地方に稲作が伝わり、須坂園芸高校遺跡が営まれる。 | 弥生文化が天竜川を伝わり、千曲川流域に到達する--中期 | 北部九州に甕棺墓が盛んにつくられ、各地に小国家ができる。 |
57 | なし | 櫛目文土器が盛行し、須坂地方でも多用される。 | 磨製石器(石庖丁 太形蛤刃石斧など)が盛んに使われ、県内各地に集落が営まれる。 | 倭の奴国が後漢に朝貢し、光武帝から印綬を賜わる。 |
107 | なし | 北小河原遺跡(豊洲地区)や蒔田遺跡(日野地区)などの扇端部に集落が営まれる。 | 箱清水(長野市)式土器文化が東北信地方に広まる--後期 | 倭国王升帥らが後漢の安帝に献貢する。 |
200 | なし | 方形(円形)周溝墓が各地につくられるようになり、北信地方にもつくられる。 | このころ倭国が乱れたため 女王卑弥呼が立ち、平定する。 | |
239 | なし | 卑弥呼が魏に朝貢し、「親魏倭王」の印を贈られる。 | ||
248 | なし | このころ卑弥呼が没し、国が乱れ、宗女壹与を立て、治まる。 | ||
300代 | なし | 長野県内に弘法山古墳(松本市) 川柳将軍塚古墳(長野市)や森将軍塚古墳(更埴市)などがつくられる。 | このころ近畿・瀬戸内地方に前方後円墳がつくられ、古墳時代となる--前期 このころヤマト政権の統一がおこなわれ、須坂地方にもその影響がおよぶ。 |
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300代後半 | なし | 鎧塚第1号墳(高甫地区上八町)がつくられる。 | ||
391 | なし | このころヤマト政権が朝鮮半島に出兵する。 | ||
400代 | なし | 天神第1号墳(井上地区米持)がつくられる。 | このころ朝鮮半島から須恵器が伝来し、普及しはじめる。 大仙古墳(伝/仁徳天皇陵・大阪市)などの巨大な古墳がつくられる。 |
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400代後半 | なし | 鎧塚第1号墳(高甫地区上八町)がつくられる。 | ||
500代 | なし | 天塚第1号墳がつくられ、鮎川右岸に古墳が密集してくる。また、坂田山麓や日滝原(日滝地区)をはじめ、河東地域に積石塚が盛んにつくられはじめる。 小河原遺跡群(井上地区)など、扇端部に大集落が形成される。 |
このころ古墳の石室が竪穴式から横穴式となる--後期 | |
538 | なし | 大陸から仏教が伝わる。 | ||
562 | なし | 任那日本府がほろびる。 | ||
593 | なし | 聖徳太子が摂取となり、 飛鳥時代にはいる。 | ||
603 | 12月 | 聖徳太子が冠位12階を制定する。 | ||
604 | 4月 | 聖徳太子が17条の憲法を発布する。 | ||
607 | 7月 | 小野妹子を隋につかわす。 | ||
630 | 8月 | 第1回遣唐使が出発する。 | ||
645 大化1 |
6月 | 大化改新がおこなわれる。 | ||
646 大化2 |
1月 | 政府が改新の詔を発布する。 | ||
648 大化4 |
なし | 信濃の人々が越後の磐舟柵に送られる。 | ||
658 (斉明天皇4) |
4月 | 阿部比羅夫が蝦夷討伐をする。 | ||
672 (天武天皇1) |
6月 | 壬申の乱がおこる。 | ||
684 (天武天皇13) |
10月 | 天武天皇が八色の姓を定める。 | ||
686 (天武天皇10) |
6月 | 飛鳥浄御原律令制定、公布される。 | ||
694 (持統天皇8) |
12月 | 持統天皇が藤原京に都を移す。 | ||
694 (持統天皇8) |
なし | このころ善光寺が創建されるという。 | ||
701 大宝1 |
8月 | 大宝律令が制定され 翌年施行される。 | ||
701 大宝1 |
なし | このころ左願寺(小河原地区)が創建される。 | このころ高井郡から『大黄』が納められる。 | このころ高松塚古墳(奈良県)がつくられる。 |
708 和銅1 |
1月 | 武蔵国から銅が献上され 銀銭・銅銭がつくられはじめる。 | ||
709 和銅2 |
3月 | 信濃国の人々が征夷におもむく。 |
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更新日:2024年03月26日