須坂市の歴史年表 紀元前~飛鳥時代(西暦:紀元前~710年)

更新日:2024年03月26日

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紀元前~飛鳥時代(西暦:紀元前~710年)

紀元前~飛鳥時代(西暦:紀元前~710年)歴史年表
西暦(年)
和暦
月日
BC12000 なし 先土器時代人が宇原遺跡(東地区仁礼)にその痕跡を残す。   寒気な気候が続き 針葉樹林や草原がひろがる。

主に細石器が使われるようになる。

磨製石器が一部で使われるようになる。
BC10000 なし 縄文時代に入り、石小屋洞穴(東地区仁礼山)に人が住みはじめる--草創期   弓矢が使われ、土器が発明される。

洪積世から沖積世となり、現在と同じような気候となる。
BC7000 なし 菖蒲沢岩陰(東地区仙仁山)に人が住みはじめる--早期   土器の底が丸底から尖底となり、器壁に繊維を含むようになる。
BC7000 なし 石小屋洞穴(仁礼地区仙仁山)や菖蒲沢岩陰(仁礼地区仙仁山)など、山岳地帯で狩猟が盛んに行われる。   土器の文様として縄文が多用されはじめる。
BC5000 なし 須坂地方では頭山遺跡(東地区西原)などの山間地に人が住むようになる--前期   土器は尖器から平底となり、のち繊維を含まなくなる。

気候が温暖化し、植物採集の生活が活発になる。
BC3500 なし 三入道遺跡(高甫地区上八町)に生活の痕跡を残す--中期   土器は豪華になり、各地で独自の発達をする。

人口が増加し、丘陵や台地では大集落が営まれるようになる。
BC2000 なし 橋場遺跡(日滝地区本郷)に集落が営まれるようになる--後期   敷石住居や配石遺構が多くなる。

精製土器と粗製土器がつくられるようになる。

気候の寒冷化が進む。
BC1000 なし 縄文時代の遺跡が減少し、お天神遺跡(東地区塩野)にわずかにその痕跡を残すのみとなる--晩期   北九州に稲作や金属器が伝わり、弥生時代となる--前期

東日本では縄文時代末期の遺跡が営まれる。
AD なし 須坂地方に稲作が伝わり、須坂園芸高校遺跡が営まれる。 弥生文化が天竜川を伝わり、千曲川流域に到達する--中期 北部九州に甕棺墓が盛んにつくられ、各地に小国家ができる。
57 なし 櫛目文土器が盛行し、須坂地方でも多用される。 磨製石器(石庖丁 太形蛤刃石斧など)が盛んに使われ、県内各地に集落が営まれる。 倭の奴国が後漢に朝貢し、光武帝から印綬を賜わる。
107 なし 北小河原遺跡(豊洲地区)や蒔田遺跡(日野地区)などの扇端部に集落が営まれる。 箱清水(長野市)式土器文化が東北信地方に広まる--後期 倭国王升帥らが後漢の安帝に献貢する。
200 なし   方形(円形)周溝墓が各地につくられるようになり、北信地方にもつくられる。 このころ倭国が乱れたため 女王卑弥呼が立ち、平定する。
239 なし     卑弥呼が魏に朝貢し、「親魏倭王」の印を贈られる。
248 なし     このころ卑弥呼が没し、国が乱れ、宗女壹与を立て、治まる。
300代 なし   長野県内に弘法山古墳(松本市) 川柳将軍塚古墳(長野市)や森将軍塚古墳(更埴市)などがつくられる。 このころ近畿・瀬戸内地方に前方後円墳がつくられ、古墳時代となる--前期

このころヤマト政権の統一がおこなわれ、須坂地方にもその影響がおよぶ。
300代後半 なし 鎧塚第1号墳(高甫地区上八町)がつくられる。    
391 なし     このころヤマト政権が朝鮮半島に出兵する。
400代 なし 天神第1号墳(井上地区米持)がつくられる。   このころ朝鮮半島から須恵器が伝来し、普及しはじめる。

大仙古墳(伝/仁徳天皇陵・大阪市)などの巨大な古墳がつくられる。
400代後半 なし 鎧塚第1号墳(高甫地区上八町)がつくられる。    
500代 なし 天塚第1号墳がつくられ、鮎川右岸に古墳が密集してくる。また、坂田山麓や日滝原(日滝地区)をはじめ、河東地域に積石塚が盛んにつくられはじめる。

小河原遺跡群(井上地区)など、扇端部に大集落が形成される。
  このころ古墳の石室が竪穴式から横穴式となる--後期
538 なし     大陸から仏教が伝わる。
562 なし     任那日本府がほろびる。
593 なし     聖徳太子が摂取となり、 飛鳥時代にはいる。
603 12月     聖徳太子が冠位12階を制定する。
604 4月     聖徳太子が17条の憲法を発布する。
607 7月     小野妹子を隋につかわす。
630 8月     第1回遣唐使が出発する。
645
大化1
6月     大化改新がおこなわれる。
646
大化2
1月     政府が改新の詔を発布する。
648
大化4
なし   信濃の人々が越後の磐舟柵に送られる。  
658
(斉明天皇4)
4月     阿部比羅夫が蝦夷討伐をする。
672
(天武天皇1)
6月     壬申の乱がおこる。
684
(天武天皇13)
10月     天武天皇が八色の姓を定める。
686
(天武天皇10)
6月     飛鳥浄御原律令制定、公布される。
694
(持統天皇8)
12月     持統天皇が藤原京に都を移す。
694
(持統天皇8)
なし   このころ善光寺が創建されるという。  
701
大宝1
8月     大宝律令が制定され 翌年施行される。
701
大宝1
なし このころ左願寺(小河原地区)が創建される。 このころ高井郡から『大黄』が納められる。 このころ高松塚古墳(奈良県)がつくられる。
708
和銅1
1月     武蔵国から銅が献上され 銀銭・銅銭がつくられはじめる。
709
和銅2
3月   信濃国の人々が征夷におもむく。  

 

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所在地:〒382-8511 長野県須坂市大字須坂1528番地の1
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