須坂市の歴史年表 室町・安土桃山時代(西暦:1335年~1603年)

更新日:2024年03月26日

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室町・安土桃山時代(西暦:1335年~1603年)

(注意)和暦が二つ記載されている場合は、上段が北朝・下段が南朝です。

室町・安土桃山時代(西暦:1335年~1603年)歴史年表
西暦(年)
和暦
月日
1336
建武3
延元3
1月23日 高梨五郎・同太郎時綱らが村上信貞に従って牧城に香坂小太郎入道心覚を討つ。    
1336
建武3
延元3
6月26日 勢力を盛り返した香坂小太郎入道心覚らを高梨経頼・同時綱らが討つ。    
1336
建武3
延元3
なし 高梨一族が所領争いをおこし、一門の衆中批判によって裁定する。    
1338
暦応1
正平5
8月     足利尊氏が将軍となり、室町幕府を開く。
1346
貞和2
正平5
なし 井上一族が祢津宗良とともに野辺原の戦で高梨経頼ら北朝軍を破る。    
1350
観応1
6月29日 普願寺が武蔵国秩父郡大岩より日滝村に移るという。    
1390
元中7
明徳1
なし 「高梨文書」に松川北(小布施町)が初めてあらわれる。    
1392
元中9
明徳3
10月     南北朝が合一する。
1399
応永6
12月     応永の乱がおこる。
1400
応永7
9月 大塔合戦(長野市篠ノ井)で、村山・井上・高梨氏ほか信濃武士が新守護小笠原長秀を破る。    
1406
応永13
なし   善光寺金堂が修造される。  
1425
応永32
なし   小笠原政康が信濃守護となる。  
1439
永享11
2月     永享の乱がおこり、足利持氏父子が自殺する。
1441
嘉吉1
6月     嘉吉の乱がおこる。
1449
宝徳1
8月15日 高梨氏一族15名が10カ条にわたる領内支配の規範を定める。    
1467
応仁1
5月     応仁の乱がはじまる(~文明9年)。
1473
文明5
なし 普願寺が日滝村から小山村に移るという。    
1487
長享1
12月     加賀に一向一揆がおこる。
1493
明応2
なし 臥竜山興国寺が創立される(開山天英祥貞)。    
1510
永正7
6月 高梨政盛が関東管領上杉顕定を討ちとる。    
1542
天文11
9月   武田晴信が信濃に侵攻し、諏訪頼重を滅ぼす。  
1543
天文12
8月     ポルトガル船が種子島に渡来し鉄砲を伝える。
1549
天文18
7月     フランシスコ=ザビエルがキリストを伝える。
1553
天文22
なし   村上義清が越後に走る(第1回川中島の戦)。  
1555
弘治1
5月   甲・越犀川に対陣するが今川義元の調停で和睦する(第2回川中島の戦)。  
1555
弘治1
10月15日 高梨一族の小島修理亮が武田万につき、河南1500貫の地を給与される。    
1556
弘治2
6月2日 井上左衛門尉が武田晴信から綿内領350貫文の地を与えられる。    
1557
弘治3
4月   長尾景虎が善光寺に着陣。武田方の山田の枡形城(高井郡)や福島城(須坂市)などを奪う(第3回川中島の戦い)。  
1557
弘治3
8月   水内郡上野原の戦(第3回川中島の戦)。  
1560
永禄3
なし     織田信長が今川義元を桶狭間に討つ。
1561
永禄4
9月18日   八幡原の激戦(第4回川中島の戦)。  
1562
永禄5
なし 仁礼衆50人が須田信頼支配下の500貫文の地を与えられる。    
1563
永禄6
なし 井上新左衛門が綿内3ヵ所の地を与えられる。    
1564
永禄7
8月   更級郡塩崎の対陣(第5回川中島の戦)。  
1567
永禄10
なし 伊藤右京亮が坂田郷300貫文の地を与えられる。    
1572
元亀3
なし 農村が荒廃し、須坂地方からも逃散者が出る。    
1580
天正8
なし 須田満親が三条城開城の検使となる。    
1582
天正10
5月 17人の井上衆が直江兼続から持城を構えることを許される。    
1582
天正10
6月     明智光秀が織田信長を本能寺に討つ。
1582
天正10
7月 上杉景勝が須田但馬守ら7人(須田衆)に本領を安堵する。    
1585
天正13
5月 須田信正が上杉景勝に誅殺される。    
1585
天正13
6月 須田満親が海津城将となる。    
1586
天正14
なし 須田満親が万竜寺を再興する。

八町伝助・高山仁助が直江兼続から給地を与えられる。
   
1588
天正16
7月     豊臣秀吉が刀狩令を発する。
1589
天正17
7月     豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし全国を統一する。
1589
天正17
なし 須田満親が豊臣秀吉から豊臣の姓を与えられる。    
1594
文禄3
なし   上杉景勝の分限帳ができ、この中に信濃武士の名が多く見られる。  
1597
慶長2
1月     慶長の役がはじまる。
1597
慶長2
なし   上杉領で河村検地がおこなわれ、北信濃でも実施される。  
1598
慶長3
1月10日   上杉景勝が秀吉より、越後・北信濃から会津への国替令と兵農分離令をうける。  
1598
慶長3
3月   関一政が飯山城主、田丸直昌が海津城主となる。  
1598
慶長3
7月18日   秀吉の家臣石川光吉・古田重勝が北信濃4郡の太閤検地を始める。  
1598
慶長3
8月18日     秀吉が没する。
1598
慶長3
12月 田丸直正が八町村勝善寺に寺領を与える。    
1600
慶長5
2月1日 田丸直正・関一政が家康によって美濃国内に移され、かわって森忠正が海津城主となり北信濃4郡を支配する。    
1600
慶長5
9月   関が原の戦いがおこなわれ、森忠政は北信濃を守る。  
1600
慶長5
なし   森忠政が領内の総検地を始める(~7年)。  
1602
慶長7
なし   森検地に反対して 北信濃4郡をまきこむ土豪一揆がおこる。  

この記事に関するお問い合わせ先

社会共創部 文化スポーツ課
所在地:〒382-8511 長野県須坂市大字須坂1528番地の1
電話番号:026-248-9027 ファックス:026-248-8825
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