須坂市の歴史年表 奈良・平安時代(西暦:710年~1192年)
奈良・平安時代(西暦:710年~1192年)
西暦(年) 和暦 |
月日 | 市 | 県 | 国 |
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710 和銅3 |
3月 | 元明天皇が平城京に遷都する。 | ||
712 和銅5 |
1月 | 「科野国」を「信濃国」と改める。 | 太安万呂が「古事記」をつくる。 | |
713 和銅6 |
5月 | 諸国に「風土気」の編さんを命じる。 | ||
713 和銅6 |
なし | 信濃国の調として石硫黄が納められ、須坂地方からも集められたものと考えられる。 | このころ馬の生産が盛んになり各地に牧場がつくられる。 | |
717 養老1 |
なし | 信濃国の調として「あしぎぬ」が納められる。 | ||
718 養老2 |
なし | 元正天皇が藤原不比等らに命じて養老律令を制定する。 | ||
720 養老4 |
なし | 「日本書記」ができる。 | ||
721 養老5 |
なし | 信濃国をわけて諏方(訪)国をおく(天平3年再び合併)。 | ||
723 養老7 |
4月 | 政府が三世一身法を定める。 | ||
739 天平11 |
なし | 信濃国府から調布がおさめられる(正倉院御物)。 | ||
741 天平13 |
3月 | 聖徳天皇が諸国に国分寺・国分尼寺建立の詔をくだし、のちに信濃国にもつくられる(上田市)。 | ||
743 天平15 |
5月 | 政府が墾田永代私有令を定める。 | ||
749 天平勝宝1 |
10月 | 東大寺の大仏が完成する。 | ||
757 天平宝字1 |
5月 | 養老律令が施行される。 | ||
760 天平宝字4 |
なし | 「万葉集」ができ、信濃国の歌も採録される。 | ||
781 天応1 |
なし | 高井郡の墨坂神社と越智神社に封戸が与えられる。 | ||
784 延暦3 |
11月 | 垣武天皇が長岡京に遷都する。 | ||
787 延暦7 |
なし | 最澄が比叡山延暦寺を創始し、このころ信濃もまわる。 | ||
794 延暦13 |
10月 | 垣武天皇が平安京に遷都する。 | ||
823 弘仁14 |
なし | 八幡(須坂地区)付近に私寺ができる。 | 信濃国から馬が貢がれる(初めて記録に残る) | |
841 承知8 |
なし | 大地震が起こり、北信が大きな被害をうける。 | ||
867 貞観9 |
なし | 高井郡の人物部連善常が本居を山城国に移す。 | ||
894 寛平6 |
なし | 遣唐使が廃止される。 | ||
899 昌泰2 |
9月 | 碓氷峠に関が設けられる。 | ||
905 延喜5 |
4月 | 紀貫之らが「古今和歌集」をつくる。 | ||
927 延長5 |
12月 | 藤原忠平らが「延期式」の編さんを完成し その中に高井牧が記され、また神名帳に墨坂神社・越智神社・小坂神社が記載される。 | ||
935 承平5 |
なし | 平将門が関東で承平の乱をおこす。 | ||
937 承平7 |
なし | このころ源順が「倭名類聚抄」をつくり、高井郡内の郷として稲向郷・日野郷等が記載される。 | 大室(長野市)その他5牧が馬を献上する。 | |
939 天慶2 |
12月 | 藤原純友が西海で天慶の乱をおこす。 | ||
967 康保4 |
7月 | 延喜式が施行される。 | ||
989 永祚1 |
7月 | このころ浅間山が大噴火をおこし、北信地方にも影響が及ぶ。 | ||
1015 長和4 |
10月 | 藤原道長が摂政となる。 | ||
1040~1044 長久年間 |
なし | このころ源頼信の子頼季が嫡男満実とともに高井郡井上に来住し、地名をとって姓を井上と称するという。 | ||
1056 天喜4 |
8月 | 前9年の役がはじまり、井上頼喜・井上満実は源頼義に従って出陣するという。 | ||
1056 天喜4 |
なし | このころ井上氏は 野辺に国光(野辺三郎)、米持に家満(米持五郎)、村山に家平(村山六郎)、高梨に盛光(高梨七郎)、八重森に重満(八重森八次郎)を分出するという。 | 新たな郷や荘園・御厨があらわれてくる。 | |
1086 応徳3 |
なし | 白河上皇が院政を始める。 | ||
1098 承徳2 |
8月 | 千曲川大洪水で沼目村福正寺が大破する。 | ||
1131 長元1 |
なし | このころ高井郡内に芳美御厨が成立する。 このころ塩野郷・小島郷・米持郷・高梨郷・栃倉郷が成立する。 |
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1156 保元1 |
7月 | 保源の乱がおこり、信濃の武士も乱に参加する。 | ||
1167 仁安2 |
なし | このころ米子不動信仰がおこる。 このころ東条荘が成立する。 |
平清盛が太政大臣となる。 | |
1180 治承4 |
8月 | 源頼朝が伊豆に挙兵する。 | ||
1180 治承4 |
9月 | 井上一族の村山義直等信濃源氏が笠原頼直等の平氏勢に攻められ、市原(長野市芦田付近?)で戦う。 | 源義仲が木曽に挙兵する。 | |
1181 治承5 |
6月 | 横田河原(長野市篠ノ井)の合戦で井上光盛が活躍する。 | ||
1184 元暦1 |
2月 | 平家物語、一の谷の戦いで名馬『井上黒』(須坂産といわれる)が活躍する。 | ||
1184 元暦1 |
7月 | 井上光盛が源頼朝により駿河の菖蒲駅で誅殺される。 | ||
1185 元暦2年 |
2月 | 平氏が屋島の戦に敗れ、壇の浦で滅亡する。 | ||
1185 文治1 |
11月 | 源頼朝が守護・地頭の設置を許される。 | ||
1186 文治2 |
なし | 「吾妻鏡」に保科御厨が初めてあらわれる。 | ||
1190 建久1 |
10月 | 源頼朝が上洛し、村山七郎・高梨次郎・須田小太夫が随行する。 |
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更新日:2024年03月26日