須坂市の歴史年表 昭和20年代

更新日:2024年03月26日

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昭和20年(1945年)

昭和20年(1945年)歴史年表一覧
月日    
5月3日
山田温泉で、温泉旅館全焼の大火災があり、疎開児童8名が焼死する。    
6月13日
大政翼賛会須坂支部・須坂町青少年団・同翼賛壮年団・大日本婦人会須坂支部が解散し、須坂町義勇隊を結成。 隊長に田中邦治が就任する(8月31日解散)。    
6月22日
    義勇兵役法が公布される。
6月28日
森上国民学校が東部13 375部隊の宿舎として転用され、児童は須坂・小山国民学校へ分散して二部教育となる。    
8月6日
    広島に米機により原子爆弾が投下される。
8月8日
    ソ連が対日本の宣戦布告を行う。
8月13日
米機が飛来し長野駅中心に機銃掃射を行い 須坂町上空も爆音で騒然とする。    
8月15日
    日本が太平洋戦争に敗れ、無条件降伏をする。
8月31日
敗戦により須坂町義勇隊が解散となる。   連合軍最高司令官マッカーサー元帥が空路厚木へ到着する。
9月14日
中野幸右衛門が教育費寄付により紺綬褒章を授与される。    
10月24日
    世界50カ国によって国際連合が成立する。
10月
  長野県知事に物部薫郎が就任する。  
11月15日
    衆議院議員の選挙法が改正され婦人参政権が初めて認められる。
11月
長野電鉄が連合軍旅客貨物の輸送を開始する。    
12月
    労働組合法が公布される。
12月
  • 従来40余工場の製糸業者が戦時体制のため昭栄・北村両工場を残し、7工場が軍需工場、8工場は取り壊し、その他20数工場は他へ転換する。
  • 12月末日までに復員者が須坂町で約2,000名にのぼる。
   

昭和21年(1946年)

昭和21年(1946年)歴史年表一覧
月日
1月4日
    総司令部が軍国主義者の官公職追放及び右翼団体の解散を指令する。
1月9日
須坂町関係学校の御真影が奉還される。    
1月14日
須坂町警防団長に牧茂助が就任する。    
1月
俳句雑誌『科野』(主催栗生純夫)が発刊される。    
2月2日
    官国弊社廃止令が公布される。
2月25日
    新旧円の交換が始まる。
3月10日
    預貯金が封鎖される。
3月
    財産税が施行され徴収される。
4月5日
『須坂町報』が再刊される。    
5月1日
    教職員追放令が公布される。
5月20日
田中邦治が長野県町村会長に就任する。    
5月25日
須坂町婦人会が結成され、会長に山岸とくが就任する。    
6月1日
同胞援護会須坂支部が結成される。    
6月18日
中外鉱業株式会社・米子鉱業所須坂原動所(八幡裏)でダイナマイトが爆発し、死者8名・重軽傷者40余名など被害甚大となる。    
7月
各町に町内会が設立される。    
9月2日
    東京湾上の米戦艦ミズーリ号にて降伏文書が調印される。
10月8日
    教育勅語奉読が廃止される。
10月19日
町村制第45条により、議長上原吉之助、副議長永井千之助が選任される。    
10月
    戦時補償法が打ち切られる。
11月3日
    新憲法が発布される。
11月10日
    日本銀行券発行高712億3200万円にのぼり、インフレーション悪化の傾向を示す。
11月15日
田中邦治が町長を辞任する。    
12月20日
農地調整法の改正により、農地委員会の選挙を行う。須坂町では小作階級には永藤本吉・西方真治・松沢稔之・宮崎小三郎・山本正彦 地主階級には神林幸夫・荒井貞栄・山岸憲二、自作階級には中村修治・北沢六三郎が選出される。    
12月 本年中復員者は陸軍1,040名、海軍413名、軍属157名、計1,610名。未復員者は陸軍241名、海軍17名、軍属28名、計286名。    

昭和22年(1947年)

昭和22年(1947年)歴史年表一覧
月日
2月8日
臨時建築制限規則が施行され、12月末日までに許可になったもの須坂町内で339件、不許可19件、工事中止4件となる。    
3月16日
須坂公民館長の初選挙が行われ霜田元之助が当選したが病気のため辞任し、山下潤蔵が繰上げ当選となる。    
3月31日
    教育基本法・学校教育法が公布され、6・3・3制が実施される。
4月1日

町会議員選挙が施行される。町議会議長に山崎作治、副議長に野本宇助が選出される。

学制改革により高等小学校が廃止され、町村立の新制中学校が開設され、須坂町では須坂中学校を開設する。

   
4月10日
初の公選による須坂町長選挙に上原吉之助が当選し就任する。    
5月3日
長野区裁判所須坂出張所が長野司法事務局須坂出張所と改称される。   新憲法が施行される。
6月1日
各町内会が廃止され、新たに各町内に自治会が設置される。    
6月
須坂町体育協会が新発足し、会長に牧武夫が就任する。    
6月17日
須坂町公民館が開館する。    
8月30日
    警防団が消防団に改称する。
10月1日
臨時国勢調査が実施される。須坂町人口43,459人、世帯数8,418世帯    
10月
住宅基礎調査の結果本町の住宅畳数110,652枚、一住宅平均23畳、1人当たり4畳となる。    
11月15日
須坂町健康保険組合が療養給付を一時休止する。    
12月20日
旧日本測定器株式会社跡を相森中学校敷地及び校舎に買収するため、愛町公債300万円を発行する。    
12月
  • 本年度予算1,263万円。
  • 東亜鉱業株式会社が高井鉱山を買収し、褐鉄鉱を採掘する。
  • 本年うるち米収穫高2730石、もち米286石、平均反収2石2斗。
  • 農地改革が始まる。本町買収予定面積は田54町7反、畑106町2反、計160町9反歩。買収面積は155町7反4畝歩、財産税物納農地14町7反4畝、 計170町4反8畝(うち田47町2反、畑123町2反8畝)。
  • 本年中の本町復員数72名、未復員数140名、戦死者公報受領者数103名となる。
  • 上原吉之助が上高井町村長会長に就任する。
   

昭和23年(1948年)

昭和23年(1948年)歴史年表一覧
月日
1月17日
須坂町農業会が解散する。    
1月
長野県農事試験所園芸分場が相森地籍に設置される(場長に飯森三男が就任)。    
3月7日
須坂町公安委員として、永井千之助・小田切安次郎・井上演良が就任する。    
3月8日
須坂自治警察署が設置される。署長に関幸五郎が就任する。    
3月25日
須坂青年学校が廃止される。    
3月
町税総額3,760万円 1世帯当たり6,436円、1人当たり1,309円    
4月4日
須坂町農業協同組合が設立される(組合長に北沢六三郎が就任)。    
4月
新制の須坂中学校を常盤中学校と相森中学校の2校に分散設置する。    
4月15日
町議会議長に野本宇助、副議長に荒井貞栄を選出する。    
5月2日
    初めてサマータイムが実施される。
6月25日
    教育勅語等の排除について文部省より通達される。
6月
社団法人須坂商工会議所が設立される(会頭に東山義司が就任)。    
7月20日
    国民の祝日が決まる。
8月1日
    常住人口調査が実施される。
8月30日
    旧50銭紙幣の使用が禁止される。
9月26日
須坂町睦会(未亡人会)が結成され、会長に田野ひでが就任する。    
10月5日
  長野県教育委員の選挙が行われる。  
10月
    共同募集運動が開始される。
11月30日
農業調整委員の選挙が施行され、委員長に永田忠治郎が就任する。    
12月11日
須坂税務署が開庁され、所長に樋熊恒二が就任する。    
12月23日
須坂自治警察署庁舎が竣工する(費用245万円)。   元首相東条英機等7名の戦犯の死刑が執行される。
12月 本年度中の復員数61名、未復員数67名、戦死公報受領者数37名、一般邦人引揚者6世帯15名となる。    

昭和24年(1949年)

昭和24年(1949年)歴史年表一覧
月日
1月10日     公務員の1週48時間勤務制を実施する。
1月15日
初めての成人式が行われる。    
1月23日
    衆議院議員選挙が実施される。
2月
     
4月1日
    蔬菜類の統制が撤廃される。
5月
竜ケ池に戦後はじめてボートが浮かぶ。    
6月1日
  • 須坂電報電話局が開設される。
  • 長野司法事務局須坂出張所が長野地方法務局須坂出張所となる。
   
6月18日
皇太后が蚕糸業奨励のため昭栄製糸工場を視察する。    
6月27日
    郵政省・電気通信省・国税庁・地方自治庁法務府・国有鉄道会社・専売公社等が発足する。
6月30日
    衣料切符の使用が廃止される。
8月18日
農地委員選挙が施行される。    
9月1日
キティ台風により百々川が屋部地籍で決壊。千曲川が村山・相之島境で決壊し、日野・豊洲地区が冠水し大被害となる。    
9月23日
強い前線により全県が豪雨となり、キティ台風で決壊した千曲川及び百々川が再び壊れる。沿岸の平坦部は冠水し、須坂町から日野村まで広い地域が被害にあう。    
11月1日
    公益質屋が再開される。
11月
  • 本年度予算3760万円、町税総額2260万円により、町税1戸あたり平均4456円、1人当たり896円。
  • 富士通信機、羽生田鉄工所等の企業整備に伴い、労働争議が行われる。
   

本年中の復員者は37名、未復員は36名となる。軍人20名、一般16名。

昭和25年(1950年)

昭和25年(1950年)歴史年表一覧
月日
1月1日     主食配給基準を満年齢制度で実施する。
2月1日 建設事務所が開設され所長に吉岡正信が就任する。    
3月28日 町議会議長に荒井貞栄、副議長に永井真吉が就任する。    
3月29日 須坂町民大会を開いて刑務所招致の賛否投票を行う(賛成4,075、反対688で賛成多数となる)。    
6月1日 長野信用組合須坂支店が開店する。    
8月5日 本県東北信一帯の豪雨により、百々川・八木沢川が氾濫し、浸水家屋200戸、被害田畑40町歩で被害が甚大となる。    
9月3日   ジェーン台風が県下の農作物を荒らし、被害が4億円にのぼる。  
9月5日   県公安条例が成立する。  
10月1日 第7回国勢調査が行われる。人口43,407人、世帯数8,463世帯    
10月27日 須坂自由労組が町役場に陳情する。    
10月 引揚者2名 未引揚者36名となる。    

昭和26年(1951年)

昭和26年(1951年)歴史年表一覧
月日
1月1日
    主要食糧販売業米屋の登録が始まる。
1月30日
NHKスタジオから「わがふるさと」が放送される。    
2月16日
須坂刑務所の起工式が挙行される。    
3月4日
上高井PTA連合会が新教育研究協議会を開催する。    
4月23日
町長・町会議員選挙が施行され、町長に上原吉之助が当選、町会議長に永井真吉、副議長に永井忠治郎が選出される。    
4月30日
  県知事に林虎雄が当選する。  
7月20日
従来の農地・農業調整・農業改良の各委員が解散し、新たに農業委員選挙が施行される。    
7月23日
竜ケ池開池20周年記念の煙火大会が行われる。    
8月21日
岡谷生糸検査所須坂支所が開設される。    
9月8日
    サンフランシスコ講和条約が調印される。
9月10日
須坂保健所が新築落成する。    
11月
CIE図書館須坂分館が開設される。    
12月4日
日滝小学校防火用池が完成する(25.8平方メートル)。    

昭和27年(1952年)

昭和27年(1952年)歴史年表一覧
月日
1月

本年度町予算は9,179万円となる。

   
2月10日
第5回NHKのど自慢全国コンクール北信地区予選が須坂小学校講堂で開催され、中継放送される。    
3月10日
  高校入試がアチーブメント・テストとなる。  
3月24日
  信濃放送JOSR(4月1日信越放送に変更)ラジオ本放送が全国民間放送で8番目に開始する。  
5月14日
  長野県工場誘致条例が公布される。  
5月28日
常盤中学校が町営グランド北に新築落成する。    
5月
須坂町中小企業融資斡旋事業制度が発足する(年度末総件数214、総額599万円)。    
6月1日
『須坂町沿革表』が完成し、実費35円で頒布する。    
6月29日
  長野県高等学校教職員組合が県教組から分かれて結成される。  
6月30日
森上小学校の増築工事が完成する。    
7月1日
住民登録法による住民一斉調査が行われ、須坂町の登録人口が男11,529人、女12,890人となる。 長野県労働組合評議会(県評)が結成される。  
8月18日
町道相森中学校線を新設する。    
8月26日
須坂~万座間35キロメートルの高原観光バス路線(長野電鉄)が開通する。日本最初のパノラマルートといわれる。    
11月1日
町村に公選の教育委員会が誕生する。初代委員長に広田豊治(須坂)が選出される。教育長に清水虎治郎が就任する。    
11月4日
  長野県軍人恩給復活連盟が結成される。  
11月9日
  信州りんご1000箱が香港へ出荷される。  
12月18日
  長野県部落解放審議会条例が交付される。長野県市町村規模適正化審議会条例が交付され、市町村の合併が促進される。  
12月20日
  米の自由特別集荷が実施され、県下5,000の米屋が農家へ進出する。  
12月25日
  長野電鉄がスキー客のため、東京・志賀・野沢温泉直通バスを運転する。  

昭和28年(1953年)

昭和28年(1953年)歴史年表一覧
月日
1月1日
    米価1キログラムあたり小売値が68円になる。
1月28日
須坂町塚本茂樹ら早大登山部が南米アコンカグア峰7,035メートルを日本人として初踏破する。    
2月1日
NHKがテレビ本放送を始める。須坂町公民館前で公開され、映像が鮮明に映り人だかりとなる。高畑では不鮮明。    
6月17日
小山小学校が木造2階建6教室に増改築される。    
6月
鉱害復旧工事として大日向地区水田の水源を 百々川から灰野川に切りかえる工事が完成する。    
7月19日
  長野県製糸協同組合連合会が創立される。  
7月
須坂地方でも農薬ホリドール中毒が続出する。    
8月5日
須坂町工場誘致条例が施行される(蒲原機器製作所が第1号指定される)。    
9月14日
  県養蚕連は各郡市部に 繭積算代金の預託制度実施を指令する。  
9月17日
  長野県青少年問題協議会が設置される。  
9月
  県通達 横書きとなる。  
10月1日
町村合併促進法が施行され、須坂町を中心とした合併機運高まる。    
10月7日
  県下農民組織代表らが県民協議会を結成する。  
12月6日
  • 生糸課税案に養蚕農家の反対機運が強まる。
  • 市街地のゴミ回収が大八車からオート三輪車になる。
   
12月
須坂町民のうちに刑務所招致反対運動がおこる。 大冷害のため、昭和9年以来の凶作となる 県の米反収238キログラムで全国第35位に低下。  

昭和29年(1954年)

昭和29年(1954年)歴史年表一覧
月日
1月20日
    帝都高速度交通営団、地下鉄丸の内線池袋-御茶ノ水を開業(戦後初の地下鉄開通)。
2月9日
豊洲村解村式が行われる。    
2月10日
日野村解村式が行われる。    
2月11日
須坂町・豊洲村・日野村の1町2カ村が合体合併をし、新須坂町が発足する。    
2月14日
新須坂町の初臨時議会が招集され、議長に北沢六三郎 副議長に原繁治郎が当選する。    
2月23日
    衆院、自由党議員有田二郎の逮捕を許諾(造船疑獄。海運業から自由党などへの贈収賄事件)。
3月1日
    マグロ漁船第5福竜丸、ビキニ環礁の米水爆実験で被ばく。3月14日焼津に帰港
3月8日
    日米相互防衛援助(MSA)協定調印
3月16日
町長選挙が行われ、上原吉之助が当選する(のち初代市長となる)投票率73.1パーセント   読売新聞、第5福竜丸のビキニ環礁水爆実験放射能被ばくをスクープ。マグロの市価が半値になる。
4月1日
市制施行。面積28.42平方キロメートル、人口30,576人の県下7番目の市が誕生する。助役に川股相吉・北村雅雄・水戸明納、 収入役に小田切善三郎が就任し、臥竜山公会堂で祝賀式を行う。 町村合併促進法に基づく町村合併が進められ、長野・松本・上田などが市域を拡大。  
4月7日
  飯田長姫高等学校、全国選抜高等学校野球大会で初優勝  
6月1日
国保直営豊洲診療所が完成し診療を開始する。    
6月8日
井上村・高甫村・仁礼村・豊丘村の4カ村に対し合併を申し入れる。    
6月16日
豊洲にバスが開通する。    
6月30日
警察制度の改正により自治体警察「須坂警察署」が廃止される。    
7月1日
 
  • 国家警察・自治体警察が廃止され県警察本部が発足する。
  • 自衛隊が発足し、保安隊松本駐屯部隊は陸上自衛隊松本駐屯部隊となる。
 
7月12日
日滝小学校体育館が完成する。    
7月16日
農業委員会委員選挙が執行される。    
7月19日
森上小学校のプールが竣工する。    
8月1日
  松本市が中山・島立・島内・芳川・新・和田・神林・笹賀・寿・岡田・入山辺・里山辺・今井の13ケ村を合併して新松本市発足(中山・島内・島立の3ケ村は4月1日合併)。  
8月3日
法務省との協定ができ 須坂刑務所の設置反対運動が終結する。    
8月6日
相森中学校のプールが竣工する。    
8月13日
『豊洲村の歩み』が発刊される。    
8月24日
  妙高戸隠高原が国定公園になる。  
8月27日
    日本短波放送開局
8月28日
火葬場改築工事が完成する。    

8月31日

  長野県農協中央会が発足する。  
9月16日
    日本中央競馬会発足。9月25日第1回競馬開催
9月26日
    青函連絡船洞爺丸、台風15号で座礁転覆、死者・行方不明1,155人
10月10日
大字小山字天神堂(屋部)地籍に住宅団地計画をたて、公営住宅法による最初の市営住宅20戸の建設が始まる。    
10月23日
常盤中学校の体育館が完成する。    
11月5日
  平出遺跡考古博物館が完成する。  
11月16日
井上村の編入合併を市議会で議決する。    
11月20日
  長野県信用組合が発足する。  
11月26日
仁礼・豊丘両村議会で合併を決議 新村名を東村とする(昭和30年1月1日発足)。    
12月7日
高甫村の編入合併を市議会で議決する。    
12月25日
高甫村解村式が行われる。    
12月31日
井上村解村式が行われる。  

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社会共創部 文化スポーツ課
所在地:〒382-8511 長野県須坂市大字須坂1528番地の1
電話番号:026-248-9027 ファックス:026-248-8825
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