市長のコラム 2025年1月
2025年1月30日(木曜日)
最長で詩情豊かな千曲川との共生(「紙で残す私の1枚」寄稿文)
須高郷土史研究会は2024年4月に創立50周年を迎え、これを記念して2024年12月に「紙で残す私の1枚」が発行されました。私も寄稿いたしました。
「最長で詩情豊かな千曲川との共生」
2022年11月に発行された「昭和の記録・私の思い出≪続編≫」でも千曲川について触れました。それほど千曲川に対する強い思いが、私にはあります。それは、様々な思い出とともに、千曲川(新潟県からは信濃川)が全長367キロメートルと日本一長い河川であることが、身近にあることが子ども心に嬉しかったことがあります。尊敬申し上げている須坂市ご出身の企業創業者の方が、会社名に「千曲不動産」という名称を付けられました。千曲川に関する思いがあったことと推察しております。
この原稿を書く前に、千曲川に行きました。子どもの頃に遊びに行ったことのある島があればと思っていましたが、須坂市側は、本流となっていました。千曲川は、本流が長野市側になったり、須坂市側になったりと変わります。
子どもの頃は、子どもだけで千曲川に行き、島で遊んだり、木杭を渡ったり、木登りをしていました。今考えると危険であったと思われるでしょう。ただ、このことが、自然への怖さと親しみを育てたと思います。こんな自分の経験から、孫二人を千曲川に遊びに連れて行った際は、島などでとても喜んで遊んでいました。
また、我が家は、祖父が千曲川漁業協同組合員であったことと農家には珍しい趣味人(遊び人)で、手漕ぎの川舟、大きな網や猟銃を持っていましたので、島で地引網をしたり、舟に乗せてもらいました。また、千曲川川岸は鳥類が多いので絶好の狩猟場でもありましたし、流し針、ウナギ胴(竹などで編んだ筒状の漁具)などでウナギなどを獲っていました。当時の千曲川はきれいでしたので、それを食べていました。以前、日本人の主要な動物性蛋白源は、魚介類といわれましたが、千曲川近辺では、まさに、川魚でした。小千曲という支川がありますが、子どもの頃は水量が多く、池のようになっており、魚が沢山いて、遊漁券がないと釣りができないので別名「禁漁区」といわれていました。私は、小川で魚を掴めることが得意で沢山獲れるので釣りはしませんでしたが、禁漁区で魚釣りをしたという話を、他の町の人からよくお聞きしました。千曲川堤防は、乳牛の実質的な牧草地になっていました。私は、小学校から帰ったあと、時々、牛を自宅に連れて帰ることがありました。牛は、性格がおとなしく、賢いので、子どもにもこのようなことができました。
また、千曲川河川敷の土壌は極めて肥沃で、適度に粘土質を含んだきめが細かい砂壌土であるため、長芋、里芋、ゴボウ、リンゴ、桃、野菜など農産物の生産には最適です。さらに、障害物となる石がないため、芋類がまっすぐ伸びます。県外の有名な里芋を食べた際、粘り気のなさに驚きました。須坂市の千曲川河川敷の長芋、里芋は、同じ千曲川河川敷の「信州の伝統野菜・飯山市坂井芋(里芋の地域名)」や松代の長芋と同様に高い品質と感じます。
私は、1949年(昭和24年)4月30日に、上高井郡豊洲村大字相之島で生まれました。そして同年9月1日に長野県を襲ったキティ台風により村山・相之島地区の千曲川堤防が破堤しました。さらに、9月23日にも強い前線により増水害の被害にあいました。私は、もちろん記憶にありませんが、自宅の壁には、長い間、浸水した痕跡が残っていました。
千曲川に加えて天井川「百々川」の脅威(千曲川河川事務所 千曲川・犀川直轄改修100周年記念事業)
また、生まれた年に水害にあったということ、その後の1959年(昭和34)の伊勢湾台風などの被害により、私の人生観には水害の影響が強く影響しています。長野県庁に就職した際に最初に配属された土木部道路維持課管理係は、災害による通行止め等を担当していましたし、災害後の災害査定では一事務員として災害現場に随行させていただきました。
市長就任後は、2004年(平成16年)10月の台風23号災害、2006年(平成18年)7月の豪雨災害、令和元年東日本台風(2019年)などがありましたので、防災対策は、市政の一番の重要施策と考えております。
令和元年東日本台風により、甚大な被害が発生した信濃川水系において、国、県、市町村が連携し「信濃川水系緊急治水対策プロジェクト」を進めています。
信濃川水系(千曲川)緊急治水対策プロジェクト(千曲川河川事務所)
国、県、市町村が連携し、1.堤防強化等の河川における対策、2.排水機場の整備等流域における対策、3.住民等まちづくり、ソフト対策を実施していくことで、「信濃川本川の越水防止」を目指しています。
なお、北相之島町及び相之島町では、長野県内では先駆的なコミュニティタイムラインを策定しました。(この原稿作成後、2024年に村山町でも策定しました。)これらについて、特に、国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所及び長野県建設部須坂建設事務所には、住民目線にたって指導、事業を行っていただいております。心から感謝を申し上げます。
千曲川北信地域の長野市、須坂市、小布施町、中野市、飯山市の5市町では、広域観光ルートの構築、地域の歴史・文化の伝承、未来へ繋げる関係人口の育成等により、広域観光の推進と地域活性化に取り組んでいます。この取組の充実を図るため、5市町をつなぐ千曲川を活用し、各市町の水辺拠点で親水護岸、管理用通路等を整備するほか、現在行われている水辺アクティビティやスポーツイベントでの広域な連携、さらに、アウトドア民間事業者や鉄道事業者とのタイアップによる広域観光ルートの構築を目指しています。この一環として、千曲川河川事務所は、須坂市福島町を始め各市町でカヌーポートを整備されています。
母なる千曲川が、子々孫々にわたって、より安全で、より多くの方に親しまれる河川になることを願っております。
「紙で残す私の1枚」は、市立須坂図書館で借りることができます。
2025年1月23日(木曜日)
2025年須坂市消防出初め式 式辞
あけまして おめでとうございます。
2025年、輝かしい新年を迎え、ここに須坂市消防出初め式を挙行いたしましたところ、多くのご来賓の皆様にご臨席を賜り、厳粛なうちにも盛会に挙行できますことに対し心から御礼を申し上げます。
また、消防団員ならびに関係者の皆様方には、常日頃から市民の生命、身体および財産を守るため、崇高なる消防精神をもち、昼夜を問わず消防防災活動にご尽力いただいていることに心より敬意と感謝の意を表します。
さて、2024年1月1日に発生した能登半島地震から1年が過ぎました。現在も復旧復興に向け日々ご尽力されております関係者の皆様に敬意を表するとともに、いまだ不自由な生活をされている皆様にお見舞い申し上げます。
須坂市におきましても、令和元年東日本台風災害により被害を受け5年がたちます。これらの災害を風化させることなく教訓とし、大規模化、複合化する災害の脅威に対峙するべく、今後も防災減災に努めてまいります。
2024年を振り返ってみますと、須坂市においては幸いにも大きな災害はありませんでしたが、全国をみると地震や台風、線状降水帯の影響による大雨など、自然災害により各地に甚大な被害がもたらされました。
須坂市の火災発生状況をみますと、2023年と比較して1件増の15件、うち建物火災は6件減の4件、件数は減少しておりますが負傷者が2人おります。引き続き火災予防の啓発等の徹底をしてまいります。
関延之消防団長を始めとした消防団員の皆様には、災害出動に際し迅速に対応いただきました。また、行方不明者の捜索など長時間にわたる活動に対し、消防団員の皆様が大きな役割を果たして頂いていることに感謝申し上げます。
須坂市は、第六次須坂市総合計画・前期基本計画に基づき、安心・安全なまちづくりの推進「自助・共助・公助」により日ごろから災害に対する備えが十分になされ、災害後は速やかに回復できる、地域の防災力が充実しているまちを目指しています。
また、消防通信指令業務の共同運用や消防防災設備の充実により防災基盤を強化し、災害に強いまちづくりと、市民、地域、団体、企業がこの地で暮らすことに幸せを感じ将来に向けて持続発展する共創によるまちづくりを進めています。
そのような中で、消防団は地域の実情に精通し、災害対応力、動員力など地域社会に欠かすことのできない組織として市民から厚い信頼を得ております。とりわけ昨年の音楽隊定期演奏会では、市制施行70周年・音楽隊結成40周年の記念開催となり、消防フェスタも同時開催し多くの皆様にお越し頂きました。また、地元ケーブルテレビ「Goolight」のご尽力により、2019年から行われております生中継、インターネット同時配信により、会場にお越し頂けなかった多くの皆様にもお届けすることができました。
須坂市としましても、昨年は消防団ドローン隊を結成し、女性や若い消防団員の活躍の場を拡張するなど、入団促進をはじめ消防団の活動を継続的に支援しております。今後も消防の理念のもと、消防団がより力強く持続的に発展するよう努めて参りますので、ご来賓の皆様、各町区長様をはじめ地域ならびに企業の皆様方の変わらぬご支援をいただきますようお願い申し上げます。
本日の消防出初め式にあたり、上中町をはじめとする各町、分団・部が無火災表彰を受章されますことは、地域住民をはじめ消防団員一人ひとりが防災活動にご努力いただいた結果であり心からお喜びを申し上げますとともに、これまでのご労苦に改めて感謝を申し上げます。
このたび退団されました前第四分団長浦野武士様をはじめ24名の皆様におかれましては、長年にわたり消防団員として、また幹部として職務を全うされました。そのご苦労と、陰になり日なたになり支えて頂いたご家族の皆様に対し、衷心から感謝を申し上げますと共に、数多くのご功績に対し深く敬意を表するものであります。
今般、晴れて消防団員に任命されました16名の皆様は、地域から信望と期待をもって推薦されて入団された優秀な方々です。一日も早く消防の技術や心構えを体得され、様々な職業、幅広い年代層で構成される消防団活動を通じて、色々な経験や技能を積み豊かな人間関係を築かれますことを期待しております。なお、退団された分団長の方々からは、消防団の活動はいい人生経験になったと伺っています。
結びに、ご来賓の皆様、安心・安全なまちづくりの重責を担われる消防関係各位、ならびにご臨席の皆様のご健勝とご多幸をご祈念いたしますと共に、なお一層のご協力をお願い申し上げて式辞といたします。
2025年1月12日 須坂市長 三木 正夫
【追記】
- 山岸直弘前第11分団長から、退職消防団員を代表してご丁寧な謝辞を頂戴しました。感謝申し上げます。
- 本年の消防団分団の分列行進には、市内5つの自衛消防団のうち、福島自衛消防隊と穀町タイガースクラブにご参加いただきました。
- 須坂市の前坂政明さんが「消防の出初め式、きびきびと」と題して、信濃毎日新聞に投稿をしてくださいました。
2025年1月20日(月曜日)信濃毎日新聞5頁 建設標から引用
消防の出初め式に来賓の立場で出席し、行進を見学して式典に臨みました。始めから終わりまで「こんなにきびきびしているのか」と驚きました。
団長の指揮に従って大きな声で受け答えをしていく。返事をして行動に移す。複数人であれば、小さなかけ声に合わせて全員がそろった動きをする。それがまた心地よく、気持ちのよいものでした。
今の時代、学校での「前にならえ」のような号令は、軍隊を連想してよくないとおっしゃる方もいるそうです。もちろん、一日中号令の緊張感の中にいる環境ではいけませんが、決めた時間に少しだけこの規律を体験することは、意味があるように思いました。
例えば災害時、自分勝手な行動をしていては危険です。大きな声で返事をする。号令に合わせて行進をする。これだけできれば団結の心が芽生え、協調も生まれるような気がしました。
式が終わりロビーに出ると、いつもの顔に戻った消防団員たちが、ほっとしたのか楽しそうに雑談していました。
2025年1月16日(木曜日)
二十歳を祝う会・市長あいさつ要旨
あけましておめでとうございます。
「須坂市二十歳を祝う会」の挙行にあたり、主催者を代表してご挨拶を申し上げます。
新しい時代を担う456人の皆さんが20歳の節目を迎えられましたことを、心よりお祝い申し上げます。456人、4・5・6ですからこの数字は記憶に残りますね。
国における成年の年齢は18歳に引き下げられましたが、須坂市におきましては、20歳という人生の節目の年に、「二十歳を祝う会」として開催しています。
これまで皆さんを温かく見守り、支え、愛情深く育んでこられたご家族をはじめ、地域の皆様や先生方、ご友人など、関わりのあったすべての皆様に対して、このよき日を無事に迎えることができたことを、20歳の皆さんと一緒に感謝申し上げたいと存じます。
来賓各位におかれましては、大変お忙しい中ご臨席を賜り厚く御礼申し上げます。
また、8月から5か月間にわたり、思いを込めて一生懸命「二十歳を祝う会」の準備をしてこられた10人の二十歳の運営スタッフの皆さんにも深く感謝申し上げます。
昨年は2024年パリオリンピック・パラリンピックが開催されました。数々のドラマ、名勝負が繰り広げられ、私たちに感動を与えてくれました。
中でも体操で男子団体と個人総合、鉄棒で金メダル、平行棒で銅メダルと4つのメダルを獲得された岡慎之介選手は2003年10月31日生まれ、皆さんより1歳上です。大活躍した岡選手ですが、2年前には右足前十字じん帯断裂という大けがを負っています。それまで数々の大会で輝かしい成績をおさめていた岡選手は、オリンピック出場が危ぶまれるほどの状態に陥りましたが、決してあきらめることなくリハビリを続け世界を制しました。
オリンピック後のインタビューで、これほどの苦しみ、困難とどう向き合ってきたかと聞かれた彼は、こう答えています。
「一番は、『目標を明確にすること』でした。自分の中でパリ2024オリンピックが軸にあったので、けがをしたからといってそれほど落ち込むこともなく、そこに向けて何が必要なのかを日々考えていました。」
岡選手は、あえて療養期間中に上半身の強化に取り組み、それまで日本人が苦手としていた吊り輪の技術を磨きこんでいます。また、試合前に自身で注意したことは、という問いに対し「過信しないようにと、準備を徹底しようという気持ちがありました。さまざまな状況に想像を働かせながら、普段通りにできるか、そうした心構えを本当に大事にしています」と答えています。
目標を定め、その前に立ちはだかる困難から逃げることなく目標に向けた準備を大切にして、岡選手は20歳にして世界の頂点に立ちました。
また、野球の大谷翔平選手は、行き詰まりを感じるのはどんなときですか?という質問に対して、このように答えています。
「行き詰まりというのが、『解決策がこれ以上ない状態』のことだとしたら、僕はこれまで行き詰まりを感じたことは一度もないですね。技術的にも身体的にも限界を感じたことはないです。子どものときも、自分より身体が大きい選手や、野球がうまい選手はたくさんいましたが、自分にやれることはいくらでもあるし、それをちゃんとやればいつかは越えられると思っていました。」
岡選手や大谷選手は特別だから、と思うかも知れません。しかし、二人の姿から学ぶことができます。それは夢や目標を持つこと、そしてチャレンジすることだと思います。チャレンジに失敗はない。失敗とは、チャレンジしなかったことをいうのです。
今年、長野県内最大の商業施設「イオンモール須坂」が秋に開業します。一方、昨年は須坂地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。須坂市は新旧のよきものが共存する地域です。果物を主として、ふるさと納税が長野県1位となっています。転出人口よりも転入人口が多い社会増の状態も続いています。住みよい地域の証でもあります。
世界の民俗人形博物館では、「三十段飾り千体の雛祭り」が1月16日から5月18日まで開催されます。4月24日以降は「五月人形菖蒲の節句」と同時開催になります。20歳の皆さんとご家族は入館料を無料にさせていただきますので、鑑賞下さい。
20歳の皆さんに、私から3つ、お願いがあります。
1つ目、消防団への加入です。
午前中に消防団出初式を開催しましたが、須坂市消防団は通常の消防団活動に加え、定期演奏会、ドローン部隊など独自の活動もされ、活発に活動されており、消防団に加入してよかったと異口同音におっしゃっています。社会活動の一環として消防団に加入していただきたいと思います。皆さんのプラスになります。
2つ目、選挙の際は、投票に行ってください。
これからの須坂を担っていくのは皆さんです。今年は参議院議員通常選挙も行われます。ぜひ投票に行って下さい。
3つ目、カッタカタ祭りの歌「須坂小唄」、「シャボン玉」、ヤクルトスワローズ応援歌「東京音頭」などを作曲した中山晋平が「シンペイ~歌こそすべて~」というタイトルで映画化されました。長野県での先行上映に続き、1月10日から全国で上映が開始されました。須坂市でも2か所でロケが行われました。母の愛、家族愛、師弟愛、自然への憧憬など、北信濃に育った皆さんには、20歳のよき思い出になると思います。ご覧下さい。
結びに、20歳を迎える皆さんをはじめ、お集まりの皆様方の今後のさらなる御活躍と御多幸を心から祈念をいたしまして、お祝いのご挨拶とさせていただきます。まことにおめでとうございます。
2025年1月9日(木曜日)
コラム1「2025年元旦に思う」
2024年1月、6期目の市長に就任させていただきました。多くの課題を解決することは、新たな須坂市の発展に繋がるという決意を持って「豊かさとしあわせを感じる共創のまち須坂」を築いてまいります。
昨年は須坂市制施行70周年という記念すべき年で、市民主体による「70周年メモリアルコンサート」、NHK「新・BS日本のうた」、テレビ東京「出張!なんでも鑑定団in須坂市」など数多くの記念行事を皆様と共創で開催できました。国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の選定も叶いました。須坂長野東インターチェンジ周辺地区の大規模開発では新アクセス道路が開通し、ホテルルートイン須坂を始め多くの企業が営業を開始しました。
2025年は、出場20大学中、峰の原高原クロスカントリーコースでトレーニングをされた17大学が出場する箱根駅伝で幕が開けました。秋には県内最大規模となるイオンモール須坂がオープンします。この、須坂長野東インターチェンジ周辺地区の開発が、企業、須坂市および北信地域の発展になるように企業と連携して参ります。
中山晋平(カッタカタまつりの「須坂小唄」作曲者)の生涯を描いた映画「シンペイ~歌こそすべて~」が、長野県内で先行公開中です。1月10日からはいよいよ全国公開です。
市内の旧上高井郡役所や旧小田切家住宅でロケが行われました。須坂市がお貸ししたオルガンも登場します。人間愛に富む映画です。ご覧下さい。
須坂市が貸し出した旧園里学校のオルガンが映っています。
ピアノを弾いているシーンは旧上高井郡役所で撮影されました。
シンペイ~歌こそすべて~のフォトギャラリー画像(MOVIE WALKER PRESS)
「シンペイ 歌こそすべて」ロケ地マップPDF(信州上田フィルムコミッション)
コラム2「一年の計は元旦にあり」
年末年始に使われることわざ「一年の計は元旦にあり」。由来とされる2つの説を紹介します。
1つ目は、戦国武将毛利元就が語った言葉「一年の計は春にあり、一月の計は朔(ついたち)にあり、一日の計は鶏鳴(けいめい、一番鶏が鳴く早朝)にあり」が由来という説です。春は正月、朔は月初め、鶏鳴は夜明け頃を指し、どれも「最初に計画を立てることが大事」と伝えています。
2つ目は、中国の明時代の書物『月令広義(げつれいこうぎ、正字:月𠄁令廣義)』中の文章「四計」が由来という説です。四計には「一日の計は晨(朝)にあり、一年の計は春にあり、一生の計は勤にあり、一家の計は身にあり」と書かれています。
どちらも「初めに計画を立てることで日々が充実し、勤勉に働くことで一生が決まり、家族のためには身の健康が大切」という意味合いで、そのためには社会貢献など何事にも一生懸命励み、自分の健康は自分で守ること、社会福祉が充実していることが重要と考えます。
私は、新年は「一日の計は晨(朝)」ではなく「一日の計は前の晩」を心がけ、市政運営に取り組んでまいります。
(広報須坂市2025年1月号 「市長のいきいき通信」加筆)
更新日:2025年01月30日