市長のコラム 2023年7月

更新日:2025年03月21日

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2023年7月27日

須坂市防災会議・須坂市国民保護協議会議(2023年7月25日開催)で感じたこと

頻発、激甚化している災害に対応するため、防災会議は極めて重要。
市長として常に念頭にあるのは災害への対応。このため、この機会に振り返りをおこなう。

【令和元年東日本台風、多くの方からの支援に感謝】
国土交通省、地方気象台など多くの機関から「プッシュ型支援」をいただく。

プッシュ型とは被災都道府県からの具体的な要請を待たないで、避難所避難者への支援を中心に必要不可欠と見込まれる物資を調達し、被災地に物資を緊急輸送すること

  • 須坂市消防団は増水時の対応にあたった。千曲川堤防越水後は、避難に遅れた被災者をボートで救出した。
  • 県庁職員、他自治体職員も各所へ支援にまわった。
  • 長野県松本駐屯地・新潟県高田駐屯地・新発田駐屯地から延べ220人の陸上自衛隊員が派遣され、北相之島地区の道路復旧のために堆積した泥や災害ごみの除去をしていただいた。
  • 法務省矯正局特別機動警備隊(SeRT)には、日滝原工業団地で災害ごみの処分をしていただいた。(平成31年4月1日に発足後、最初の派遣となった)
  • 医師会、歯科医師会、薬剤師会には被災者の健康管理の支援をしていただいた。
  • ボランティアセンターおよび各避難所には、須坂市社会福祉協議会、赤十字奉仕団、連合婦人会、保健補導員会、食生活改善推進協議会、看護協会などの各団体からも支援にきていただいた。


須坂市では実際にボランティアの女性たちによって「女性目線の対応」がされた。後に、全国的に避難所等において「女性目線の対応の必要性」が求められるようになった。
農地の復旧には、農林水産省、市建設業協会などにご尽力いただいた。

以上は、一部です。

【令和元年東日本台風災害からの復旧復興】

「信濃川水系緊急治水対策プロジェクト」

千曲川河川事務所
立ケ花橋~村山橋(長野市、須坂市)の左岸と右岸の8キロ区間で堤防のかさ上げと「被覆型」による堤防強化を2023年度中に完了の予定。立ケ花狭窄部の掘削は2027年度中に完了の予定。

須坂建設事務所
松川、鮎川、百々川等については須坂建設事務所で復旧・復興事業を実施中。
千曲川と松川合流地点では、千曲川河川事務所と須坂建設事務所で連携して堤防を強化。

2022年5月、「タイムライン防災・全国ネットワーク国民会議」が設立。全国34の自治体が参加し、県内では須坂市、長野市、伊那市が参加。
タイムライン防災とは事前防災行動計画とも言われ、災害が迫ったときに迅速・的確な対応を行い、被害を最小化するための方法のひとつ

タイムライン防災は、2022年6月の中央防災会議において国の防災基本計画にも位置付けされた。
須坂市では令和元年東日本台風で被害を受けた北相之島町が千曲川河川事務所の支援を受けながらコミュニティ・タイムラインを作成。この北相之島町のコミュニティ・タイムラインは、全国会議で先進事例として発表した。
須坂市では今年度、相之島地区のコミュニティ・タイムラインを市単独事業として作成中。今後もコミュニティ・タイムラインを推進していく。

【その他】

  • 8月27日(日曜日)午前7時から、須坂市総合防災訓練を4年ぶりに実施(主会場:常盤中学校)。令和元年東日本台風を教訓に、水害対応に特化。訓練の柱として「住民の避難場所への避難行動」、「庁内タイムラインに基づいた各種行動の確認・実践」をおこなう。
  • 須坂長野東インター周辺に立地するイオンモールとは、災害時の協力体制について打合せを行っている。
  • 災害対策基本法一部改正により、昨年度から避難行動要支援者の個別避難計画の作成が努力義務とされた。災害リスクの高い地域から順次進めている。
  • 気象情報関係では、線状降水帯予測や河川の氾濫危険情報の早めの発表などの改正により、避難情報を早めに発令することが可能となった。

2023年7月20日

やりがいのある仕事へのチャレンジの喜び

須坂市立博物館特別展「須坂の太平洋戦争」あいさつから

太平洋戦争の終戦から78年となる2023年。
世界では今も各地で侵略や紛争や戦争が続いており、私たちはこれまでの戦争を、なぜ起こし、市井の人々がどのような暮らしを営んでいたのか、その事実を再認識する必要に迫られています。
しかし、戦時下の暮らしを語る資料は時と共に失われ、戦争体験者の高齢化により伝えられることも少なくなり、人々が体験した戦時下の暮らしや想像を絶する体験も、知る機会が少なくなっています。
本展示では、私たちが暮らす須坂の人々は“どのように生きたのか”、“どのように人々がこの戦争に巻き込まれていったのか”を、「司法大臣・枢密院議長 原嘉道」「人々の暮らし」「満洲珠山上高井開拓団」「召集と銃後の守り」の4つの視点から、当時の行政文書や写真、生活道具、遺品、そして貴重な証言映像で振り返ります。
小さな町「須坂」の暮らしは、日本のどこでも起きていた戦争の実態であることに視点をおき、一人ひとりが自身の事として捉え、考える機会としていただきたいと思います。
本展に際し、貴重な遺品等の資料をご寄付いただき、従軍された家族の話をお聞かせいただいた方、満洲珠山上高井開拓団として渡満された方、展示にご協力いただきました全ての皆さまに深く感謝申し上げます。

追記

戦後78年の長きに加え、急激な社会状況の変化やコロナ禍により、戦争に関する事項は継承が困難になっています。しかし平和を継続するためには、戦争の実態を知ることが肝要ですので、この特別展「須坂の太平洋戦争」は意義深いと考えています。博物館職員が挑戦して開催したことに感謝します。

市立博物館は様々な工夫をしています。

  • 臥竜公園商店会と連携して、入館者数を増やす取り組み。
  • 駐車場に散策する方のためにベンチを設置。
  • 博物館周辺の木々に名札を付け、木の種類を明記。
  • 来館者と貸出し用(愛の傘)の傘立てを分けた。
  • 掲示板をフル活用。
  • 数多くのイベントを行っている。
  • 18歳以下と市内在住の70歳以上の方、動物園年間パスポートをお持ちの方など、無料入館者を明示。(高校生や中学生が自然体で入館する姿を見て嬉しく感じた)
  • サービス向上のため、きめ細かな努力をしていると感じました。
  • 竜公園商店会の方は、お客さま目線の市立博物館、動物園を支援したいとおっしゃってくださいました。

「情にほだされる」のだと思います。

ある全国紙に「公務員からスタートアップ企業に転職、その理由は、官僚時代は実際の事業に関われず物足りなかった。当事者として社会課題の解決に取り組みたかった」との記事がありました。
市町村行政は、まさに、社会課題を真正面から受け止め、解決ができるやりがいのある職場です。

7月15日(土曜日)、須坂市赤十字奉仕団正副分団長会議・研修会が開催されました。
この時にも、須坂市社会福祉協議会職員および日赤奉仕団の方から、高い志と活動をお聞きしました。

2023年7月13日

須坂中央駐車場広場開催イベントの目的、須坂市まちの賑わい創出事業

須坂市では「須坂中央駐車場広場(旧フジ会館・旧ナガイビル跡地)」で、7月~12月までの毎月第3土曜日と日曜日、イベントを開催します。
旧フジ会館・旧ナガイビル跡地は、轟病院を運営する医療法人公仁会が取得し、岡田産業が土地を借り、駐車場および多目的広場「須坂中央駐車場広場」として整備をされました。
2022年9月、岡田産業のご好意により緊急指定避難場所やイベント広場として活用する協定を締結させていただきました。感謝申し上げます。

7月15日(土曜日)、16日(日曜日)に「須坂中央駐車場広場」で開催するイベントは、その第一弾です。

7月15日(土曜日)
午前8時~11時 農産物マルシェ「おはよう市」&朝ごはんカフェ「SUZACA'fe」
11時~午後5時 餃子&ビールフェス

7月16日(日曜日)
午前8時~11時 農産物マルシェ「おはよう市」
午前8時~午後3時 カフェ「SUZACA'fe(スザカフェ)」

餃子の町として有名な宇都宮市と浜松市の餃子店のほか、市内の餃子店も出店します。餃子&ビールを楽しみたい方は是非7月15日(土曜日)にお出かけ下さい。
農産物マルシェ「おはよう市」+カフェ「SUZACA'fe(スザカフェ)」は12月まで毎月開催し、あわせて月替わりのイベントも開催します。
「須坂中央駐車場広場」は、7月22日(土曜日)に開催する「カッタカタまつり」でも活用します。
このイベントは地元農産物を販売して消費拡大につなげる農業振興とともに、市街地事業所および観光施設への誘客を目的としています。
さらに、インター須坂産業団地に開業予定のイオンモール信州須坂(仮称)などにお越しいただくお客さまにとっても、魅力的なイベントになることを願っています。
そのためには、民間と公的機関がそれぞれの立場で全力を尽くすとともに、連携する公民連携が重要です。

60歳代女性自営業者から、次のような「市長への手紙」をいただきました。
経済活動およびインター須坂産業団地開業企業からの誘客については、このお手紙のような考え方が基本と考えています。

(お手紙の要旨)
基本経済活動は、自身の生活の糧であり、市は相談に乗ったり、橋渡しの役割であって、市がお膳立てをしなければいけないような考え方が一般市民の考えとは思いません。各々が工夫して会社なり、お店なりを魅力的なものにするのがあたりまえなので、市役所が助けてくれない、知恵を出してくれないから商売がうまくいかないなんて発展するはずがありません。魅力的な須坂市を作るのは私たち須坂市民のはずです。市はそれをサポートしてくださる立場のはずです。(手紙終わり)

私は様々な機会に、多くの市内外の事業者の方とお話しますが、このお手紙のような考えの事業者の方がほとんどです。

2023年7月06日

須坂市の夏祭り

私が長野県下伊那地方事務所に在職していた2003年4月~11月ころは、全国的に市町村合併論議が盛んでした。

南信州のある村の方が「合併になったら、おたくの村の祭りはどうなるの?」と、祭りの開催地域の住民に質問しました。これに対して、祭りの開催地域の住民は「合併でなくなるようなら、とうの昔になくなっているよ」と答えたことが印象に残っています。その祭りは、地域に愛され、誇りとして西暦1428年(室町時代)から伝承されています。

「第46回須坂カッタカタまつり」が7月22日、4年ぶりに開催されます。
「カッタカタまつり」という名称は、1923年(大正10年)12月に帝国ホテルで発表され新民謡の先駆けとなった「須坂小唄」の歌詞に由来します。

「須坂小唄」作詞野口雨情・作曲中山晋平(中野市出身)
山の上から ちょいと出たお月 誰を待つのか 待たれるか
ヤ カッタカタノタ ソリャ カッタカタノタ
誰も待たない 待たれもしない 可愛いお前に 逢いたさに
ヤ カッタカタノタ ソリャ カッタカタノタ
(以下6番までつづく)

「カッタカタ」とは、製糸工場で糸枠の回る音と言われています。(1994年4月21日の信濃毎日新聞で、元製糸家の方が「糸枠が止まる時の音」とおっしゃっていましたので、諸説あるようです)

「カッタカタ」を歌詞に用いた野口雨情にも、それを祭りの名にした感性にも感心します。
さらに、蚕糸業の衰退とともに忘れられていた「須坂小唄」を、1978年(昭和53年)に、第1回「須坂まつり」として復活させた先達の文化的感性にも感謝します。

昨年のカッタカタまつりは、直前にコロナの感染者数が急増し、感染経路もはっきりしないケースが多かったため、安全な運営が困難と判断し、急遽、やむなく中止しました。山車、踊り連など準備されていた方には大変申し訳なかったのですが、苦情などもなく、皆さまの温かいお気持ちを大変ありがたく感じました。

「第36回須坂みんなの花火大会」は、カッタカタまつりの翌日、7月23日に開催されます。
「須坂みんなの花火大会」は、2010年7月25日付日本経済新聞「春秋」で次のように紹介されました。

--以下引用--
「夏の風物詩である花火が本当に好きなのだろう。岩手県一関市や長野県須坂市、広島県大竹市と世界同時不況のあおりで昨年中止になった各地の花火大会が続々と復活している。スポンサー役の企業の財布のひもが緩んだわけではない。住民からの寄付、有料観覧席の設置、市民中心の簡素な運営とそれぞれが知恵を絞った結果だ。公募で大会名を「みんなの花火大会」に変えた須坂市の場合、市民からの寄付が目標額を7割上回ったという。他人任せでなく自分たちでという住民の意気だ。」
--引用終わり--

市民のみなさんが須坂市を愛し、花火大会を誇りと思う気持ちの表れです。

7月21日から25日まで行われる「須坂祇園祭」もまた、地域の誇りとして伝承されてきた夏祭りです。
須坂祇園祭は京都市・八坂神社の系譜を引き継いでいますが、21日の笠鉾巡行で使われる二段の笠鉾は、須坂独自の展開をとげたものです。
(笠鉾は全部で11基あり、通常、笠鉾会館ドリームホールに展示されています)
以前、京都の方が須坂温泉に宿泊された際、「笠鉾会館」をご覧になり感心されていたと、当時の須坂温泉の社長がおっしゃっていました。
笠鉾巡行は7月21日の午前7時30分、芝宮を出発し町を練り歩きます。

新民謡とは、古来の民謡に対して、大正年間(1912年~1926年)以後に、新しく作詞・作曲された地方唄。野口雨情作詞・中山晋平作曲の「須坂小唄」を初め、「ちゃっきり節」「龍峡小唄」「八戸小唄」「三階節」など。(精選版日本国語大辞典から)

(広報須坂市2023年6月号「市長のいきいき通信」に加筆)

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