須坂クイズ
マニアックな須坂クイズに挑戦!
問題の章
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第1問 須坂市の最高地点は標高何メートル?
- A:1550メートル
- B:2354メートル
- C:3190メートル
- D:3776メートル
第2問 須坂市で一番高い山の名前は?
- A:奇妙山(きみょうさん)
- B:明覚山(みょうかくさん)
- C:四阿山(あずまやさん)
- D:梯子山(はしごさん)
第3問 りんごやぶどうなどの果樹栽培がさかんに行われているのはどんな場所?
- A:山地
- B:干潟
- C:市街地
- D:扇状地
第4問 写真に写っている須坂市無形文化財のお祭りの名前は?

- A:獅子狂言「梅川(うめかわ)」
- B:高梨の「牛獅子(うしじし)」
- C:下八町の「太々神楽(だいかぐら)」
- D:上八町の「赤熊(しゃあま)」
第5問 写真に写っている須坂市無形文化財のお祭りの名前は?

- A:獅子狂言「梅川(うめかわ)」
- B:高梨の「牛獅子(うしじし)」
- C:下八町の「太々神楽(だいかぐら)」
- D:上八町の「赤熊(しゃあま)」
第6問 写真に写っている須坂市無形文化財のお祭りの名前は?

- A:獅子狂言「梅川(うめかわ)」
- B:高梨の「牛獅子(うしじし)」
- C:下八町の「太々神楽(だいかぐら)」
- D:上八町の「赤熊(しゃあま)」
第7問 写真に写っている須坂市無形文化財のお祭りの名前は?

- A:獅子狂言「梅川(うめかわ)」
- B:高梨の「牛獅子(うしじし)」
- C:下八町の「太々神楽(だいかぐら)」
- D:上八町の「赤熊(しゃあま)」
第8問 現在の須坂市にあたる地域には江戸時代にいくつの村があった?
- A:9
- B:19
- C:29
- D:39
第9問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:旧越家住宅
- B:中野家住宅
- C:田中本家博物館
- D:塩屋醸造
第10問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:旧越家住宅
- B:中野家住宅
- C:田中本家博物館
- D:塩屋醸造
第11問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:旧越家住宅
- B:中野家住宅
- C:田中本家博物館
- D:塩屋醸造
第12問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:旧越家住宅
- B:中野家住宅
- C:田中本家博物館
- D:塩屋醸造
第13問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:ふれあい館まゆぐら
- B:旧園里学校(きゅうそのさとがっこう)
- C:旧上高井郡役所
- D:JAながの井上支所
第14問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:ふれあい館まゆぐら
- B:旧園里学校(きゅうそのさとがっこう)
- C:旧上高井郡役所
- D:JAながの井上支所
第15問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:ふれあい館まゆぐら
- B:旧園里学校
- C:旧上高井郡役所
- D:JAながの井上支所
第16問 写真に写っている須坂市の建物の名前は?

- A:ふれあい館まゆぐら
- B:旧園里学校(きゅうそのさとがっこう)
- C:旧上高井郡役所
- D:JAながの井上支所
第17問 写真に写っている土器は、いつごろの時代のものだと考えられている?

- A:縄文時代
- B:弥生時代
- C:古墳時代
- D:飛鳥時代
第18問 写真に写っている土器は、いつごろの時代のものだと考えられている?

- A:縄文時代
- B:弥生時代
- C:古墳時代
- D:飛鳥時代
第19問 写真に写っている出土品は、いつごろの時代のものだと考えられている?

- A:弥生時代
- B:古墳時代
- C:飛鳥時代
- D:奈良時代
第20問 高井郡大黄(たかいぐんだいおう)の文字が書かれた木簡が見つかったのはどこ?
- A:飛鳥京
- B:藤原京
- C:平城京
- D:平安京
第21問 写真に写っている指定文化財「牛の乳」は何を使って作られたもの?

- A:木材を彫る「のみ」
- B:木を切る「のこぎり」
- C:壁を塗る「こて」
- D:木を削る「かんな」
第22問 この「はにわ」が出土したのはどこから?

- A:本郷大塚古墳(ほんごうおおつかこふん)
- B:戸谷古墳(とやこふん)
- C:天塚一号墳(あまづかいちごうふん)
- D:天神一号墳(てんじんいちごうふん)
第23問 須田氏の山城があったと伝えられているのはどこ?
- A:明覚山(みょうかくさん)
- B:鎌田山(かまたやま)
- C:土鍋山(どなべやま)
- D:臥竜山(がりゅうざん)
第24問 1582年、須坂のお寺「勝善寺」に平和にくらすための決まり事(禁制)をだした織田信長の家臣はだれ?
- A:森長可(もりながよし)
- B:明智光秀(あけちみつひで)
- C:豊臣秀吉
- D:柴田勝家
第25問 須坂藩の初代藩主は誰?
- A:堀長政(ほりながまさ)
- B:堀直重(ほりなおしげ)
- C:堀直格(ほりなおただ)
- D:堀直虎(ほりなおとら)
第26問 災害や飢饉にそなえ、郷倉(ごうくら)に蓄えてあったものは次のうちどれ?

- A:果物
- B:味噌
- C:塩
- D:穀物
第27問 須坂にあった街道のうち、仁礼から江戸に向かう街道はどれ?
- A:三原道(どう)
- B:大笹街道(おおざさかいどう)
- C:谷脇街道(たにわきかいどう)
- D:山田道
第28問 江戸時代末期、外国惣奉行として幕府のために働いた須坂藩主は次のうちだれ?
- A:堀直虎(ほりなおとら)
- B:堀直重(ほりなおしげ)
- C:堀直升(ほりなおます)
- D:堀直明(ほりなおあきら)
第29問 須坂の「製糸王」と呼(よ)ばれた、写真の銅像はだれ?

- A:小田切辰之助(おたきりたつのすけ)
- B:竹前権兵衛(たけまえごんべえ)
- C:青木甚九郎(あおきじんくろう)
- D:越寿三郎(こしじゅさぶろう)
第30問 製糸業発展の先駆けとなった、東行社(とうこうしゃ)をつくったのはだれ?
- A:青木甚九郎(あおきじんくろう)
- B:大峡荒治(おおばあらじ)
- C:勝山仲兵衛(かつやまなかべえ)
- D:市川佐治右衛門(いちかわさじうえもん)
第31問 高畑にぶどう園をつくり、須坂でぶどう栽培をはじめたのはだれ?
- A:大峡荒治(おおばあらじ)
- B:勝山仲兵衛(かつやまなかべえ)
- C:市川佐治右衛門(いちかわさじうえもん)
- D:柄沢五一郎(がらさわごいちろう)
第32問 須坂病院(現在の信州医療センター)を開設したのはだれ?
- A:市川佐治右衛門(いちかわさじうえもん)
- B:柄沢五一郎(がらさわごいちろう)
- C:大峡荒治(おおばあらじ)
- D:青木甚九郎(あおきじんくろう)
第33問 仁礼村の村長となり、須坂市と上田市をむすぶ県道須坂菅平線(現在の国道406号)を開いたのはだれ?
- A:大峡荒治(おおばあらじ)
- B:勝山仲兵衛(かつやまなかべえ)
- C:市川佐治右衛門(いちかわさじうえもん)
- D:柄沢五一郎(がらさわごいちろう)
第34問 園里村戸長(そのさとむらこちょう)となり、豊丘町で乳牛を育てて、牧畜を盛んにしたのはだれ?
- A:市川佐治右衛門(いちかわさじうえもん)
- B:青木甚九郎(あおきじんくろう)
- C:大峡荒治(おおばあらじ)
- D:勝山仲兵衛(かつやまなかべえ)
第35問 須坂市を流れるおもな川のうち、一番長いのはどの川?
- A:百々川
- B:鮎川
- C:千曲川
- D:松川
第36問 山地が多い須坂市ですが、平地の面積はおよそ何パーセントあるでしょうか?
- A:10パーセント
- B:20パーセント
- C:30パーセント
- D:40パーセント
第37問 越寿三郎(こしじゅさぶろう)が関係していないものはどれ?
- A:山丸製糸工場
- B:信濃電気株式会社
- C:旧園里学校
- D:信越窒素肥料株式会社
第38問 米子発電所が完成し、須坂にはじめて電灯がともったのはいつ?

- A:1853年(嘉永6年)
- B:1904年(明治37年)
- C:1922年(大正11年)
- D:1945年(昭和20年)
第39問 同業者が集まって作られた日本で最初の製糸結社の名前はどれ?
- A:東行社(とうこうしゃ)
- B:俊明社(しゅんめいしゃ)
- C:山丸組(やままるぐみ)
- D:片倉組(かたくらぐみ)
第40問 カモシカは文化財(天然記念物)として大切に保護されています。どこが指定した文化財?

- A:須坂動物園
- B:長野県
- C:須坂市
- D:日本国
第41問 2004年に、須坂市にある「長野県果樹試験場」でうまれたブドウはどれ?
- A:巨峰
- B:ナガノパープル
- C:シャインマスカット
- D:オーロラブラック
第42問 長野県で作られたブドウ「ナガノパープル」の特徴として、間違っているのはどれ?
- A:須坂市で一番作られている
- B:皮が食べられる
- C:種がない
- D:巨峰のなかま
第43問 地域の伝統野菜である村山早生(むらやまわせ)ごぼうの特徴として、間違っているのはどれ?

- A:長さは80~100センチメートル
- B:果肉が厚くてやわらかい
- C:灰汁が少なく、色は白い
- D:漬物としてはあまり使われない
第44問 地域の伝統野菜である沼目越瓜(ぬまめしろうり)の特徴として、間違っているのはどれ?

- A:高温や雨、病気に強い
- B:果肉が厚くてやわらかい
- C:漬物している
- D:種が多い
第45問 地域の伝統野菜である八町きゅうりの特徴として、間違っているのはどれ?

- A:地面にはわして栽培する
- B:一般的なきゅうりよりも短い
- C:苦味があって白い粉をふく
- D:種は少なく食べやすい
第46問 「カッタカタノタ」と歌われる「須坂小唄」は何のために作られた?

- A:盆踊り
- B:製糸工場歌
- C:校歌
- D:市民歌
第47問 つぎのうち、一番最近のできごとは何?
- A:豊丘ダムが完成する
- B:新村山橋の開通式が行われる
- C:須坂の街並みを保存する事業が始まる
- D:米子瀑布群が国の名勝指定を受ける
第48問 八丁鎧塚古墳から出土した金具は、海外でも同じような金具が見つかっています。どこの地域?

- A:山東半島
- B:インドシナ半島
- C:朝鮮半島
- D:遼東半島
第49問 須坂祇園祭で町の中を巡行する笠鉾は全部でいくつある?

- A:10基
- B:11基
- C:12基
- D:13基
第50問 須坂祇園祭(すざかぎおんさい)はいつ行われている?

- A:7月
- B:8月
- C:9月
- D:10月
第51問 日野諏訪神社(ひのすわじんじゃ)の祭りに奉納される獅子舞は、いつごろから続いている?

- A:室町時代
- B:江戸時代
- C:明治時代
- D:大正時代
第52問 毎年10月の秋祭りで、高梨神社に奉納される獅子舞に出てくる動物はなに?

- A:鹿
- B:虎
- C:馬
- D:牛
第53問 須坂市の「市の木」はどれ?
- A:メタセコイヤ
- B:クマスギ
- C:シラカバ
- D:アカマツ
第54問 上八町の赤熊(しゃあま)で、赤熊(しゃあま)を振り回すことで何を払いのける?

- A:悪魔
- B:一年間の埃
- C:火の粉
- D:虫ムシ
第55問 須坂市の「市の花」はどれ?
- A:キバナツツジ
- B:ヤマツツジ
- C:ドウダンツツジ
- D:レンゲツツジ
答えの章
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第55問の答えは…
D レンゲツツジ
解説:市の花レンゲツツジは、1974(昭和49)年に市制施行20周年記念として市の木クマスギと一緒に制定されました。五味池破風高原では100万株のレンゲツツジが群生しています。

第54問の答えは…
A 悪魔
解説:赤熊とは、長い棒の先に麻ひもをたらしたもののことです。赤熊をふりまわすことによって「悪魔をはらう」という意味があると言われており、奴姿の若者が、赤熊をふって、集落に入る災いをはらいます。
第53問の答えは…
B クマスギ
解説:市の木クマスギは、1974(昭和49)年に市制施行20周年記念として市の花レンゲツツジと一緒に制定されました。

第52問の答えは…
D 牛
解説:毎年10月の第1日曜日の秋祭りの時に、神殿の舞台で九つの演目が演じられます。牛が出てくる獅子舞は全国的にも例がなく、牛獅子と牛方のやりとりが愉快で楽しまれています。
第51問の答えは…
C 明治時代
解説:明治時代初期から行われており、「獅子狂言 梅川」は当時の形式が今日まで伝えられています。最後の場面では見ている人もいっしょになって、せりふを言うところがあります。
第50問の答えは…
A 7月
解説:毎年7月に「須坂祇園祭」が行われます。江戸時代後期から続いているお祭で、「笠鉾」が町の中を巡行し、昔から人々の目を楽しませてきました。災いや疫病神をまねきよせておいはらうために行われてきました。
第49問の答えは…
B 11基
解説:須坂の祇園祭には、穀町・上町・本上町・上中町・中町・春木町・太子町・新町・横町(東・南・北)・立町・馬場町から11基の笠鉾が曳き出され、芝宮から牛頭天王(ごずてんのう)をのせた神輿を先頭に市内をねり歩きます。
第48問の答えは…
C 朝鮮半島
解説:古墳時代に作られた八丁鎧塚古墳は石を積み重ねて作った「積石塚」古墳で、出土した鍍銀銅製獅噛文銙板(とぎんどうせいしかみもんかばん)は、有力者が帯(ベルトのようなもの)につける飾り金具で朝鮮半島の古墳出土品にも同じ文様があるものがあります。
第47問の答えは…
D 米子瀑布群が国の名勝指定を受ける
解説:国の名勝として2016(平成26)年に登録されました。国の名勝としては、県内6件目、滝では県内初です。向かって右の滝は不動滝で高さ89メートル、左の権現滝は高さ82メートルです。

第46問の答えは…
B 製糸工場歌
解説:工女たちが楽しめるようにと工場歌として須坂小唄(作曲:中山晋平、作詞:野口雨情)を制作しました。歌詞にある「カッタカタノタ」は、まゆからとった生糸をまく糸繰りの音を表しています。
第45問の答えは…
C 苦味があって白い粉をふく
解説:地面にはわせて栽培をします。一般的なきゅうりより短くてずんぐりとした形です。皮が薄くて肉が厚く、甘味があって白い粉をふきます。種の数は少なく食べやすいのが特徴です。
第44問の答えは…
D 種が多い
解説:高温や雨、病気に強く、栽培が容易な早生種です。果肉が厚く柔らかく種が少ないことから、奈良漬けや味噌漬け、浅漬け等に適しています。
第43問の答えは…
D 漬物としてはあまり使われない
解説:長さは80~100センチメートル、灰汁(あく)が少なく、白い色をしています。果肉が厚くて柔らかいため、きんぴらごぼう、煮物、てんぷら等の他、味噌漬け、浅漬け、奈良漬けなど漬け物としても利用される品種です。
第42問の答えは…
A 須坂市で一番作られている
解説:ナガノパープルは巨峰のなかまで、味も似ていますが種がなく皮ごと食べられるブドウです。大きい粒で、甘味が強く、皮に多くある体によいポリフェノールをまるごと食べることができます。

第41問の答えは…
B ナガノパープル
解説:ナガノパープルは巨峰のなかまで、味も似ていますが種がなく皮ごと食べられるブドウです。大きい粒で、甘味が強く、皮に多くある体によいポリフェノールをまるごと食べることができます。

第40問の答えは…
D 日本国
解説:カモシカは国の特別天然記念物として1955(昭和30)年2月15日に登録されました。名前に「シカ」と入っていますが、シカ科ではなくウシ科なのでウシやヤギのなかまです。
第39問の答えは…
A 東行社(とうこうしゃ)
解説:東行社は1875(明治8年)年に設立されました。大規模な工場ではなく、小規模な器械製糸の同盟組織です。太さのそろった糸を輸出するため、製品の統一を図るなど共同での出荷が行われ、品質の向上を目指しました。

第38問の答えは…
B 1904年(明治37年)
解説:1903(明治36)年、越寿三郎らが信濃電気株式会社をつくりました。そして各地を調査して、米子川の速い流れを使った米子発電所を作り、発電に成功しました。須坂の町にも電灯の明かりがつくようになりました。
第37問の答えは…
C 旧園里学校
解説:越寿三郎は製糸工場だけではなく、工場を照らしていたランプによる火災がたくさん発生していたことから、電気で明かりを灯すための発電所や、蚕のえさとなる桑の肥料を作る会社など、より安定して高品質な生糸を作るための会社を始めました。

第36問の答えは…
C 30パーセント
解説:須坂市は70パーセントが山地、30パーセントが平地です。扇状地ではりんごやぶどうなどの果樹栽培がさかんに行われています。また、須坂駅を中心に市街地が広がり、須坂長野東インター周辺では大型店や飲食店がふえてきています。

第35問の答えは…
C 千曲川
解説:須坂市の西に流れる千曲川は、全長367キロメートルあります。そのうち長野県内を流れる部分は213.5キロメートル、須坂市内を流れる部分は5.9キロメートルとなっています。

第34問の答えは…
A 市川佐治右衛門(いちかわさじうえもん)
解説:1882(明治12)年に坂田近助、坂田三代作、羽生田利助らと協力して「灰野牧畜改良会社」を作り、乳山五味池に牧場をひらきました。また菅平に広大な「北信牧場」を開きました。公務をしりぞいてからは、寺子屋の先生として地元の子どもたちの指導にあたりました。

第33問の答えは…
D 柄沢五一郎(がらさわごいちろう)
解説:34歳の時に仁礼村(現在の仁礼町)の村長になります。須坂市と上田市を結んでいる県道須坂菅平線(現在の国道406号)を開くために力をつくしました。途中の山の神地籍には、五一郎の功績をたたえる大きな石碑が建てられています。

第32問の答えは…
C 大峡荒治(おおばあらじ)
解説:1898(明治31)年、須坂病院(現在の信州医療センター)を開設しました。薬剤師、看護婦、助産婦をあつめ、10あまりの病室を設けて診療にあたりました。病院の施設も次第に充実し、30ベッド、内科、外科、産婦人科、伝染病棟をそなえる総合病院となりました。

第31問の答えは…
B 勝山仲兵衛(かつやまなかべえ)
解説:ぶどう栽培の元祖といわれる東京の小沢善兵衛をたずねて指導を受け、西洋種をゆずり受けて持ち帰り、40アールの畑に植えました。それから高畑はぶどうの産地として知られるようになりました。

第30問の答えは…
A 青木甚九郎(あおきじんくろう)
解説:群馬県の富岡製糸場を見学し、水車動力と蒸気による器械製糸を導入しました。生糸の品質を高め、量産化のための設備の改善のほか、アメリカ、ヨーロッパにも市場を広げました。 製糸結社「東行社」は小さな製糸工場が集まった共同組織です。太さのそろった糸を一度に大量に出荷するために全国で初めて作られ、製糸の品質向上をめざしました。

第29問の答えは…
D 越寿三郎(こしじゅさぶろう)
解説:長野県は日本一製糸業が盛んでした。上高井地方も水車を利用した器械製糸がすすみ、岡谷・諏訪地方とともに製糸業で栄えました。その須坂で「山丸組」という会社を作り、埼玉県大宮市や愛知県安城市でも工場を経営し個人の製糸家として全国一になったのが越寿三郎さんです。 越寿三郎さんが水力発電所をつくったことで須坂のまちにも電灯の明かりがついたり、工女や町民のために病院をつくったりと須坂の発展につながる事業もしました。
第28問の答えは…
A 堀直虎(ほりなおとら)
解説:堀直虎は幕府の重要な役割である若年寄に任命され、外国惣奉行を兼務し、自分の役目を懸命に務めました。直虎は早くから外国の進んだ文化を学び、須坂藩の改革をするなど、須坂のため、日本のために働きました。

第27問の答えは…
B 大笹街道(おおざさかいどう)
解説:大笹街道は、北国街道福島宿(須坂市内)を起点とし、上州大笹宿(現群馬県嬬恋村大笹)に至る約30キロメートルの脇街道であり、特に江戸時代末期には、北信濃から江戸への物資輸送道路として重要な役割を果たしていました。

第26問の答えは…
D 穀物
解説:災害や飢饉で年貢や食料が不足しないように、収穫した穀物を郷倉に蓄えておきました。建築年代は不明ですが、江戸時代後期に改修工事が行われたことが記録されています。
第25問の答えは…
B 堀直重(ほりなおしげ)
解説:須坂藩を治めた堀家の初代藩主は堀直重です。現在の須坂小学校や奥田神社がある辺りに館がありました。

第24問の答えは…
A 森長可(もりながよし)
解説:1582年、織田信長の家臣、森長可が須坂の寺院(勝善寺)に出した文書。平和に暮らすための決まり事が書いてあります。織田信長の領地が須坂まで含まれていたことがわかります。

第23問の答えは…
D 臥竜山(がりゅうざん)
解説:臥竜山には、須田氏の山城があったと伝えられています。須田氏は、戦国時代の武田・上杉の争いで、一族は武田方、上杉方それぞれにわかれました。上杉氏の会津への国替えに伴い、須田氏がこの地をはなれたとき、この城も廃城になったと考えられます。

第22問の答えは…
C 天塚一号墳(あまづかいちごうふん)
解説:この人物埴輪は、1908(明治41)年に須坂市大字八町の天塚1号墳より発見されたもので、袈裟形衣をまとい、須高地域における人物埴輪として貴重なものです。
第21問の答えは…
C 壁を塗る「こて」
解説:牛乳屋の坂本屋(坂田家)の看板として作られた「牛乃乳」は、漆喰を塗った壁にこてをつかって描きだす鏝絵(こてえ)です。南原町の左官職人であった関野彦三郎により明治時代後半に作られたといわれています。
第20問の答えは…
B 藤原京
解説:藤原京の遺跡から発掘された木簡に「高井郡 大黄」と記されたものがあります。須坂市を含む地域が当時から高井郡と呼ばれており、大黄という薬草を都に送っていたことがわかります。

【写真】藤原宮跡出土の木簡と同時期に須坂にあったお寺の瓦
第19問の答えは…
B 古墳時代
解説:古墳時代に造られた八丁鎧塚古墳は石を積み重ねて作った「積石塚」古墳で、出土した鍍銀銅製獅噛文銙板(とぎんどうせいしかみもんかばん)。有力者が帯(ベルトのようなもの)につける飾り金具で、朝鮮半島の古墳出土品にも同じ文様があるものがあります。
第18問の答えは…
B 弥生時代
解説:須坂園芸高校校庭(現須坂創成高校)遺跡から、弥生土器が発見されています。弥生時代中頃の文化交流を示す土器です。
第17問の答えは…
A 縄文時代
解説:須坂市仁礼にある石小屋洞穴遺跡から発見された土器は、人が土器をつくりはじめた時のもので、世界で最も古い土器のひとつと考えられています。盛り上がった線が上部にあり、その模様から「微隆起線文土器」と呼ばれています。
第16問の答えは…
D JAながの井上支所
解説:昭和3年ごろに「有限責任井上信用販売購買利用組合」の建物として建てられました。洋風意匠が美しく、現在もJAながの井上支所として利用されています。
第15問の答えは…
C 旧上高井郡役所
解説:1917(大正6)年に建築された、県内に唯一残る郡役所の建物です。この建物を市内に残る貴重な文化遺産として残すために耐震補強を含む全面改修工事を行いました。現在は須坂市民の交流と各種歴史資料の収集・展示を行う施設となっています。 建物は木造2階建て、寄棟作り、瓦ぶき、上げ下げ窓を持つ洋風建築で、薄緑色に塗られた外壁はドイツ下見という板張りの工法。正面玄関、車寄せ上にはテラスを備え、その上部には切妻破風(きりつまはふ)が見られるなどバロック様式の特徴を色濃く伝えています。
第14問の答えは…
B 旧園里学校
解説:現在、豊丘に残る旧園里学校は、1883(明治16)年に児童数が増えたので、二階建てに新築された校舎です。村の人たちがお金を出し合って作った立派な建物です。 明治20年より以前の学校建築に用いられた擬様式(洋風建築と日本建築様式の折衷様式)の特徴をよく示しています。
第13問の答えは…
A ふれあい館まゆぐら
解説:ふれあい館まゆぐらは、明治期に建てられた三階建ての建物で、もとは180メートル離れた場所に建っていましたが、曳き家(ひきや)移転を行い、現在の地になりました。生糸の原料となるまゆを貯蔵していました。現在は、養蚕の道具や、製糸業関連の資料を展示しています。
第12問の答えは…
D 塩屋醸造
解説:江戸後期に塩の販売や味噌、醤油の醸造を始めました。代々古式醸造法が引き継がれ、9棟の蔵で、秘伝の蔵ぐせと昔ながらの味と香が守られ県内外に知られています。
第11問の答えは…
C 田中本家博物館
解説:江戸時代中期に創業し、穀物、菜種、煙草、木綿などの商いを行い、代々須坂藩のご用商人を務めました。代々屋敷を整え、蔵屋敷を整備し庭園も整えて受け継がれ、現在「豪商の館田中本家博物館」として公開されています。
第10問の答えは…
B 中野家住宅
解説:中野家は長野で呉服屋を営んでいましたが、弘化4年(1847)善光寺大地震のあと現在の場所にお店を移しました。現在はギャラリーやサロンとしても利用されています。
第9問の答えは…
A 旧越家住宅
解説:明治の中ごろ長野県は日本一製糸業がさかんで、須坂で「山丸組」という会社を作った越寿三郎さんが、息子の泰蔵さんの結婚のときに購入した建物です。
第8問の答えは…
C 29
解説:現在の須坂市にあたる地域には、江戸時代に29の村がありました。また、須坂市は3つの領地に分かれていました。大名が治めた領地は、堀家の須坂藩領、真田家の松代藩領です。他に、幕府が直接治める領地もありました。
第7問の答えは…
D 上八町の「赤熊(しゃあま)」
解説:赤熊とは、長い棒の先に麻ひもをたらしたもののことです。赤熊をふりまわすことによって「悪魔をはらう」という意味があると言われており、奴姿の若者が、赤熊をふって、集落に入ってくる災いをはらいます。
第6問の答えは…
C 下八町の「太々神楽(だいかぐら)」
解説:奉納する神楽は、獅子舞として4演目あり、その中でも「鎌倉の舞」は、獅子が耳を動かしたり、手まりをあやつったりという動作があり、伝えられてきた獅子舞の中でもとても難しく、舞い手に高い技術が必要です。
第5問の答えは…
B 高梨の「牛獅子(うしじし)」
解説:毎年10月の第1日曜日の秋祭りの時に、神殿の舞台で九つの演目が演じられます。牛が出てくる獅子舞は全国的にも例がなく、牛獅子と牛方のやりとりが愉快で楽しまれています。
第4問の答えは…
A 獅子狂言「梅川」
解説:明治時代初期から行われており、当時の形式が今日まで伝えられています。最後の場面では、見ている人もいっしょになって、せりふを言うところがあります。
第3問の答えは…
D 扇状地
解説:扇状地とは、川が山から平らなところに出て、運んできた岩や石が積み重なってできた傾斜地のことです。水はけや日当たりがよいことから果樹栽培に適しています。

第2問の答えは…
C 四阿山(あずまやさん)
解説: 四阿山が須坂市の最高地点となっており、2354メートルとなっています。他にも破風岳、土鍋山、根子岳という標高約2000メートルの山々が連なっています。

第1問の答えは…
B 2354メートル
解説: 須坂市の東側に位置する四阿山の山頂が須坂市の最高地点で、2354メートルです。

更新日:2026年03月26日