まるごと体験-須坂藩堀家の館町コース

更新日:2026年03月26日

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須坂藩 堀家のやかた町と書かれ、奥田神社の屋根瓦部分が映る写真

 

交須坂藩を治めた代々の藩主にゆかりのある場所を巡るコース。お殿様も見たかもしれない景色が今も残ります。

須坂藩堀家の館町(4時間コース)

笠鉾会館ドリームホール

所要時間は約40分

蔵のまち並みにある機能分散型総合博物館のうちの1つ。常駐する学芸員が市内の文化や文化財をご案内します。

江戸時代の庶民の暮らしや須坂藩にまつわる資料のほか、須坂市で毎年7月21日から25日に開催される祇園祭の祭屋台と各町の笠鉾11基を保管、展示。

須坂市有形民俗文化財にも指定されている笠鉾は、疫病を招く疫神を笠の上部にある依代と呼ばれる飾りに集め、大神輿を守る役割がありました。次第に、各町でその装飾を競い合うようになり、絢爛豪華な意匠が施されるようになったと言われています。

かさぼこ会館ドリームホールの写真。展示ホールに11基のかさぼこがずらりとならぶ。

【笠鉾会館ドリームホール】
午前10時~午後4時(入館は午後3時30分まで)
定休日:月曜日、祝日の翌日、12月29日~1月3日

ここから徒歩1分

芝宮・墨坂神社

所要時間約10分

笠鉾会館から表参道を通って芝宮へ。

本殿の主神は墨坂大神で奈良榛原から勧請したといわれています。建御名方命を合祀しています。創立年月は不明ですが、「延喜式」には延喜7年(907年)の頁に記載があります。

芝宮は、市川が今の市内の地を乱流していた時、須田氏が大日方地籍で瀬替えをして、今のように流れを替え、荒れていた宮地を整備したといわれています。

代々の藩主に崇敬され厚く保護された、旧須坂町の中心的神社です。境内社の弥栄社のご祭礼は須坂を代表する夏祭りです。

芝宮神社の写真
ここから徒歩で約9分

奥田神社

所要時間約5分

江戸時代須坂藩居館は、今の奥田神社から須坂小学校にかけて、北は須坂東高校前の通りまでありました。その規模については正確には伝えられていませんが、享保年間(1716~1736年)の記録では茅葺五十間四方とあり、家臣の長屋、評定所、柔術場、剣術場、馬屋、内馬場等を備えた館でした。明治になり館は取り壊されましたが、明治13年、須坂藩初代 堀直重と13代直虎を祀る神社が建立されました。

直虎は幕末騒然たる世相の中、幕府の若年寄兼外国惣奉行を務め、須坂藩の藩政改革をしました。明治14年(1881年)には臥竜山頂にあった戊辰戦争の戦没者を祀る招魂社が移転され第二次世界大戦までの戦没者を合祀しています。

この神社の境内には、町役場や図書館、教育会館、近くには自治警察署や警察署、地方事務所、公民館、消防署等行政の中心となる公共機関が数多く設置され、学校も集まっていました。

奥田神社の写真。
ここから徒歩約10分

田中本家博物館

所要時間約60分

北信州随一の豪商であった田中本家。

初代の田中新八は江戸中期の享保18年(1733年)に現在の須坂市穀町で、穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売をはじめました。商売の繁栄とともに、須坂藩からは多額の御用金(藩の借用金)を仰せつかり、その重責を果たしながら幕末まで須坂藩を支え続けました。館内では代々の繁栄を伝える陶磁器、漆器、玩具、衣装、書画などが展示され、その質の高さから近世の正倉院とも呼ばれています。

江戸時代の天明年間に京都から庭師をよんで作庭された池泉回遊式庭園の大庭をはじめとした庭も見どころのひとつ。しだれ桜、白梅、紅梅、樹齢200年の夏椿、見事な紅葉など四季折々の景色を楽しむことができ、須坂藩のお殿様も気に入ってたびたび訪れていたと伝えられています。

旧主屋、客殿、酒蔵を含め、全部で20棟もの建物が国の登録有形文化財登録されています。

国の登録有形文化財。

田中本家博物館の外観写真。
田中本家博物館展示室の写真

休館日、営業時間は田中本家博物館ホームページでご確認ください。

ここから徒歩で約2分

円光寺の太鼓堂・普願寺の鐘楼 石畳の道

所要時間約30分

普願寺の参道から古寺を巡る石畳の散歩道が続きます。春には桜、秋には紅葉と四季ごとに表情を見せる趣ある小道です。

円光寺は、天文5年(1536年)、長野市柳原布野に創立されましたが、その後数ヵ所移り、慶長年間(1596~1615年)に現在地となりました。

その境内の西隅の大笹街道沿いにある太鼓堂は、普請に関する文書から、越後の棟梁山岡武兵衛により、明治27年に完成したとされています。1階部分は江戸時代末期に建てられたものと推定されます。不等辺八角形の平面で、扇垂木を持つ難易度の高い楼閣建築物で美的・技術的な面でも特筆される建築物です。

円光寺の太鼓堂の写真

普願寺は鎌倉時代に埼玉県秩父に創建されたと言われ、室町時代に須坂市本郷町付近に移り、さらに、室町時代の終わり頃現在地付近に移ったと考えられています。現在の本堂は江戸時代中期延享4年(1747)年に完成したもので、県内浄土真宗寺院の中で最も大規模な本堂の内の1つです。

鐘楼は嘉永4年(1851)年に完成したもので、この地方の神社仏閣を数多く手掛けたことで有名な亀原和田四郎の作と言われ、見事な調和と美しさがあります。

円光寺の太鼓堂と普願寺本堂と鐘楼は市の有形文化財に指定されています。

普願寺の写真
ここから徒歩13分

堀直虎供養塔(臥竜公園内)

所要時間30分

須坂藩13代藩主、堀直虎を祀る霊廟です。

26歳で藩主になると藩の軍備を整え、政治の改革を行いました。小さな藩でありながら江戸幕府の若年寄兼外国惣奉行という重要な役を任されました。大政奉還後、将軍慶喜に何事かを直訴し、その後江戸城の中で自刃しました。

直虎の遺骸は東京都港区赤坂にある種徳寺へ運ばれたのちに分骨され、臥竜山山頂の堀家墓所に祀られた。亀甲万字をあしらった霊廟の中には戒名「廣顕院殿前少府令祐道靖忠大居士神儀」を刻んだ立派な供養塔が奉安されている。

また霊廟の前には石灯篭が2基あり、その柱に「廣閑院」という直虎の奥方の名が刻まれている。本墓は東京都赤坂の種徳寺にあります。

ほりなおとらの霊廟の写真

お土産・飲食

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