【最新号の特集】広報須坂11月号

更新日:2025年10月31日

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村石久二氏に名誉市民の称号を贈ります

村石久二氏の写真

市では、市民または市にゆかりの深い方で、公共の福祉の増進、学術・芸術・産業などの進展、地方自治の進展のいずれかに特に功績があり、市の名誉を高め、市民の尊敬の的として仰がれる方に対し、須坂市名誉市民の称号を贈り、その名誉をたたえています。9月24日の9月市議会定例会で、公共の福祉の増進における功績により村石久二氏を名誉市民に推挙する議案が可決され、須坂市名誉市民の称号を贈ることが決まりました。

村石久二(むらいしひさじ)

昭和19年(1944年)、上高井郡豊洲村(現須坂市小島町)生まれ、千葉県浦安市在住。スターツコーポレーション株式会社取締役会長。一般財団法人澄和理事長。公益財団法人村石スポーツ振興財団理事長。
主な受賞歴:国土交通大臣表彰、藍綬褒章、財界経営者賞、旭日小綬章

スターツコーポレーション株式会社

東京証券取引所プライム市場上場。グループ88社、従業員数9564名、連結売上高2329億円。総合生活文化企業として、世界21カ国で建設・不動産、金融、出版、ホテル、高齢者事業などを展開。東京マラソンオフィシャルパートナー、全日本大学女子駅伝特別協賛、スターツシニアゴルフトーナメント主催。卓球・伊藤美誠選手、ゴルフ・西村優菜選手、スケートボード・草木ひなの選手所属。

受称に寄せて

須坂市名誉市民の称号をいただき、大変光栄に存じます。

疎開先の須坂で生まれた私は、出征地で戦死した父の顔を知らずに育ちました。豊かな自然に囲まれた中での母・祖母・兄姉との暮らしは、天災に見舞われるなど、周囲の方々の手助けなしでは立ち行かないことも時にはありました。そんな境遇ゆえ、母の教えでもある「感謝の気持ちに勝るものはない」との思いが私のベースになっています。

思えば、女手ひとつで家計を支えるため働きづめな母に代わり、やんちゃな私を大らかに包み込み、愛情をかけてくれたのは、家族や友人のみならず、近所の方々や学校の先生方でした。特に小学生時代は担任の先生に人一倍、目をかけていただいた記憶が残っています。まさに「故郷に育てていただいた」との思いです。

そんな故郷への恩返しとして、わずかながらも自分にできることを重ねてきました。果たして名誉市民に相応しいかというと、おこがましい気持ちで一杯ですが、感謝の思いで受けさせていただきます。

国際社会を見渡して常日頃から感じるのは、「平和の原点は故郷にある」ということです。これからも平和な社会のために、そして故郷・須坂のために、できることをコツコツと続けてまいります。

主な功績、須坂市との関わり

須坂市村石母子、父子家庭特別奨学金給付基金(1989年~現在)

市は、氏からの寄附を基に、経済的な理由により大学への就学が困難な母子、父子家庭に対する奨学金制度を創設。1994年度までは、就学一時金または修学金の貸与として4人を支援、1995年度からは返還不要の給付型に変更し、現在までの31年間で47人を支援しています。

信州須坂ふるさと応援寄附金(2009年~現在)

現在までの17年間で多額の寄附をいただいています。寄附金は、「子どもは宝プロジェクトの推進」に充て、小・中学校、特別支援学校の学校図書を購入しました。また、令和元年東日本台風の災害時は追加の寄附をいただき、被災者の生活再建にもご支援いただきました。

公益財団法人村石スポーツ振興財団による助成(2022年~現在)

氏が設立した公益財団法人村石スポーツ振興財団から、須坂市のアスリート、スポーツ団体も助成金の交付を受けています。

スターツグループによる協賛

信州須坂ランニングフェス、須坂みんなの花火大会に、長年ご協賛をいただいています。

信州須坂ランニングフェスで子どもたちが走る写真

信州須坂ランニングフェスではゼッケンスポンサーとして大会を支援

須坂市ふるさと大使

1988年から1996年の間、須坂市ふるさと大使として、豊富な見識に基づきご提言をいただきました。

須坂商業高校での講演

  • 須坂商業高校創立70周年記念式典「須商を出てからの33年間」(1995年)
  • 須坂商業高校閉校・須坂創成高校開校記念講演会「母の教え」(2015年)
     

生い立ち&略歴

1944年7月
父が中国へ出征。一家(祖父、祖母、妊娠中の母、兄、姉2人)で祖父の故郷、須坂に疎開。

1944年9月
豊洲村で誕生。

1946年10月
父の戦死公報が届く。直後に祖父が亡くなり、女性と子どもだけの生活が始まる。生活は苦しかったが、家族の愛情をたっぷり受けて、伸び伸びと育つ。

1951年~57年
豊洲小学校

疎開組でからかわれることが多く、母も昼夜働きづめで、寂しい毎日。その分、先生には大変可愛がられた。低学年の頃は泣かされっ子だったが、学年が進むと自信をつけリーダーシップもとる性格に。
1957年~60年
相森中学校

身体が小さく体力不足で野球部は半年で退部。自信のあった絵も認められず、反発する日々。(反抗期?)

1960年~63年
須坂商業高校

生涯の恩師と出会い、満ち足りた3年間。卒業時、県から優秀表彰受賞。

1963年
大和銀行入行。

1969年
千曲不動産を個人創業。3年後、千曲不動産株式会社設立。

1987年
スターツ株式会社に社名を変更。地域・社会とともに永続的な発展を目指し、その象徴として、老若男女が楽しめるスポーツ・文化活動を積極的に支援。所属選手のサポートのほか、ゴルフ大会の主催、各種大会・イベントの協賛、映画の共同製作も行う。

1993年
ホノルルマラソンに初挑戦。7年連続出場し、1997年にはサブフォー(3時間台)を達成。国内各地のハーフマラソンなど、合計31回の大会に出場。

2000年
スターツ株式会社代表取締役会長兼グループCEOに就任。

2001年
父の最期の地、中国武漢を初訪問。日中友好・平和を願い翌年、武漢に桜8000本を植樹。2008年にはマラソン大会も開催。

2015年
「争いのない平和な世界」の実現に貢献するため、一般財団法人澄和を設立。平和や自然環境保護に取り組む方を表彰する「澄和Futurist賞」を継続中。俳優・吉永小百合さん、映画監督・山田洋次さん、歌手のМ1.S1.Aさんなど34組に授与。

2021年
スポーツを通じ明るく活力に満ちた平和な社会の実現に寄与することを目指し、公益財団法人村石スポーツ振興財団を設立。長野県を拠点にアスリートや団体を支援。2024年から、「伊藤美誠杯・卓球ワールドチャレンジinNAGANO」を主催。

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