移住者の声 須坂市地域おこし協力隊 北 直樹の『須坂キラビト』vol.7

更新日:2024年03月26日

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ゲストハウス蔵の木製看板の前で満面の笑みを浮かべる堀口直美さんの写真

人生の価値観を変えた移住とおやき / 須坂市地域おこし協力隊 北 直樹の『須坂キラビト』vol.7

地域おこし協力隊の北直樹(自称のーす)がお届けする連載「須坂キラビト」は、須坂市に関わるキラリと光る情熱を持つ人をテーマに、活動のきっかけ、これまでの苦労や未来の活動についてもお話を伺います。

第7回目は「ゲストハウス蔵」の堀口直美さんを取材しました!

ゲストハウス蔵木製看板の前で満面の笑みを浮かべる堀口直美さんの写真

堀口直美さん(ゲストハウス蔵の前で、愛称“なおちゃん”)

長野県千曲市出身
高校卒業後に長野市の短大で国際コミュニケーションを学ぶ
一般企業へ就職するも、自分の生き方を見つめなおし愛媛への移住などを経て
2020年より須坂市のゲストハウス蔵でスタッフとして働く。
チャレンジショップやまじゅうを使ったイベント「なおちゃんのおやき」は大盛況の中、完売。
人懐っこい笑顔と性格で、なおちゃんを求めるリピーター客も多い。
1月31日をもってゲストハウス蔵を卒業、アイルランドで1年間生活する予定。

 ゲストハウス蔵のスタッフとしてだけではなく、今では「おやき」の人として須坂でもすっかり有名人です。ここに来る前はどのようなことをされていたんですか?

『千曲市の兼業農家で生まれ育ちました。長野市の短大を卒業して一般企業に就職し、実家から自転車で5分のところに勤めていました。なので、ずーっと地元に居ました(笑)ゲストハウス蔵で働くまでは須坂市とは縁もゆかりもない生活をしていました』

 すっかり須坂に馴染んでいて、ずっと須坂の人だと思っていました(笑)それもまだ須坂に来て1年半だとか?

『須坂の人はすごく距離が近くて、外から来た私に対してもフラットに接してくれるので気が付いたら人脈が広がっていました。それも“ゲストハウス“という特殊な場所に居たのもあるのかもしれません。飲食店など経営者の方もフラっと近所づきあいのようにして顔を出してくれるのでいろんな繋がりが出来ました』

 前職はどんな仕事をしていたんですか?

『前職は営業事務をしていて、積極的に人と接する仕事ではありませんでした。働いて3年目に自分の“生き方”を見直したいと思い地元近くで転職先を探していたんですが、なかなか上手くいかず、それを母に相談したら「外の世界も見てきていいんだよ」って言われて、「地元から出ていいの!?」って拍子抜けしました。というのも兄弟みんな地元で生活していて、てっきり反対されるかと思っていたんです。そこで思い切って憧れていた海と住みやすいと言われている愛媛に行って住み込みで働くことを決めました。でも、父はずっと反対してました』

 愛媛ではどんな仕事を?

『愛媛では“ゲストハウス“で働きました。全く知らない環境で過ごすことは刺激と学びの連続で、知り合いがいなかったので、地域に馴染むために、とにかく色んな場所に踏み込んで人との出会いを大切にしました。ゲストハウスに勤めた理由も昔からコミュニケーションを取るのが苦手で、そういった自分を克服したいという思いもあったんです』

カウンターキッチン内でほほ笑む堀口直美さんの写真

 コミュニケーションの達人とずっと思ってました(笑)他にどんなことを学んだのでしょう?

『私の家は兼業農家と言いながら、ほぼ農家で、米、味噌、野菜も買ったこともなくほとんどを自給自足していました。だから愛媛で初めて野菜を買ったんです。野菜を買うことに凄い抵抗があって…野菜を買うことから勉強しました(笑)』

 それはすごい環境です。だいたいの家庭で揃えられませんから(笑)私も須坂に来て沢山の野菜をもらえるようになってびっくりしています。食文化は毎日のことなので、特に県外に出ると気が付きますよね。

『その環境が小さい頃は嫌で仕方ありませんでした。みんなはサイゼリアとか外食に行っているのに、自分は毎日お家ご飯で…。その時はありがたみを一切わかっていませんでした。実は長野の郷土料理の「おやき」も知らない人が多くて、そんな方々に振る舞いで「おやき」を作ったのがはじまりでした。小さい頃から母のおやき作りを手伝っていたので、作り方も味も身体が覚えていたんです。その時に好評だったのが嬉しくて、色々な所でおやきを作りました』

 おやきのお話はまた後でゆっくりと聞かせて下さい!愛媛からこちらに来るまではどんな生活をしていたんですか?

『愛媛の生活は充実していたんですが、コロナが流行り始めて「普通の生活」のありがたさに気が付きました。自分が決断することへの重みを感じる出来事もあり、20代のうちはやりたいことをやってみようと思ったんです。農業への興味もあったので、ミカン・サトウキビ農園でのシーズンバイトもしました。また「WWOOF」という制度を使って日本を回って機会を待つことにしました』

たくさんのメッセージが書かれたギターを弾きながら旅人の歌を歌う堀口直美さんの写真

WWOOF時代に旅人から教えてもらった「旅人の歌」を歌うなおちゃん

 「WWOOF」とは?

『グリーンツーリズムの1つの形で、簡単に言うと「働き手が欲しい田舎の農家」と「短期で田舎に住みたいけど家や収入は確保したい」という人同士の繋がりを支援する仕組みなんです。私も香川県で収入を得る代わりに住まいと農家カフェの運営に参加しました。ただ私が行くタイミングでカフェが火事で全焼してしまい、火事の片づけやカフェの立ち上げをすることがメインになりました。立ち上げは建物からだったので学ぶところは沢山ありました』

 そんな働き方があるんですね。移住する前にそういう働き方で現地を知るのも“あり”かもしれません!

『その後、ヨーロッパの規制緩和もあり、マルタ共和国に語学留学で2か月滞在しました。マルタは英語が共通語の国だったので、英語を学ぶチャンスと思い行く事を決めました』

 実際行ってみてどうでしたか?

『英語を話せるようになることにずっと固執していて、諸外国の方とコミュニケーションを取るために上手くなりたかったんです。行って早々、現地に英語を学びにきていたロシアの方と話す機会があって「お話してください!」ってお願いしたんです。向こうは快諾してくれて沢山質問して話してくれたんですけど、私が相手のことを質問できなくて結局会話になりませんでした。その時に“言語”は単なるコミュニケーションの“ツール“であって、言語よりも大切なのは相手に関心を持つ”誠意“だってことがわかったんです。向こうは私に誠意を持って掘り下げてくれたのに、私にはそれが出来ずモヤモヤしていました』

 そこで自分の至らなさを痛感するあたりが直美さんの人柄ですね。

『ほかにも諸外国の留学生の学ぶ姿勢も勉強になりました。失敗を恐れず下手な英語でもどんどん相手と話して、相手を知ろうとする。相手を知りたいという気持ちからきていて、学校なんだから、ミスしても相手に教えてもらえばいいやっていう貪欲さが私と全然違いました』

 学ぶ貪欲さが足りないのは、もしかしたら日本人全般に言えることかもしれません。その留学も終わりごろ、たまたまFacebookで見た求人募集を見て「ゲストハウス蔵」に勤めることになるんですね。

『姉が昔、ゲストハウス蔵に尋ねたこともあって良い評判を聞いていました。採用枠が少なかったんですけど、なぜか絶対に受かるという自信があって、応募したらやっぱり受かりました(笑)』

 それは縁ですね(笑)でも一般企業を辞めてから学んできたことが、表情や自信となって出ていたのかもしれませんね。

『移住や留学で学んだことは蔵で働いてからも役立つことになりました。オーナーの山上さんは常にゲストが“次に何をしたい”のか、“どんな情報が欲しい”のかを考えていて、いろんな提案をするんです。それは相手に関心が無いと出来ないことですし、誠意を持って提案しているから相手が嫌にならない。そんな風に見えたのも留学の成果だと思っています。でも、私はまだ全然その域には達していません(笑)』

左からオーナーの山上万里奈さん、堀口直美さん、元スタッフの寺沢さんの横並写真

左からオーナーの山上万里奈さん、なおちゃん、元スタッフの寺沢さん

 オーナーは私が移住相談で初めて伺ったときも「ぶどう農家どう?」って(笑)その後も協力隊のことや、家を探す時も本当にいろいろ協力してくれて心強かったです。

『あの時の北さんもそうだったんですけど、ここに来るゲストは数ある中からこのゲストハウスを選んでいて、皆さんにとってここに来るのは“特別”なんです。だからその特別な日をしっかりとサポート出来るようにスタッフ全員がいつも考えています。私達がしているのはゲストさんの特別な日に“毎日”立ち会うことが出来る仕事だと思うんです。結構ヘビーな仕事ですが、そこが喜びを一番感じる部分です。私も愛媛の移住から人生が大きく変わったので、そういった方はより身近に考えてしまいます。でも、まさか北さんが本当に移住してくるとは思いませんでした(笑)』

 そうですよね(笑)。初めて宿泊した日の朝食に食べたおやきがまた絶品でした…ここらでおやきのお話をお願い致します!

『はい!「おやき」は最初、愛媛の時と同様に気まぐれで振舞っていました。蔵の近くでモーニングが出来るお店が無かったため。おやき朝食を提供してはどうかということになり、販売することになりました。また近くでもチャレンジショップが出来たことで、お店もやらせて頂けました。ここでの売り上げは全部、私個人の収益なんですけどオーナーの厚意で“ゲストハウス蔵”って看板をぶら下げさせてもらったんです。そんなバックアップもあって沢山のお客さんに来てもらいました。でも、私の段取りが悪すぎて来て頂いた皆さんを待たせてしまって…反省ばかりが残りました。でも、チャレンジショップでの収益は初任給を頂いた時よりももっと価値のある重いものに感じました。初めて“働いて得た収入“って感じです(笑)』

赤いお盆にのった赤色の箸とおやきとみそ汁、小鉢(おやき朝食)の写真

 おやき本当に美味しかったけど、小鉢もすごかった!

『先ほども話した通り、基本的には実家の味を再現しておやきは中の具材はオリジナルレシピです。小鉢も実家の料理を参考にしたオリジナルレシピで、ここにこだわりすぎたせいで皆さんを待たせてしまいました(笑)たった1年半ですが沢山の人に“おやき”を知ってもらえたのも須坂という地域柄と蔵に来たゲストさん、オーナー、みなさんのお陰と思っています』

 最後になります、今後の夢は?
『実は1月31日でゲストハウス蔵を卒業します…。ワーキングホリデービザを使ってアイルランドで1年間生活する予定です。アイルランドでは日本の“食文化”を伝える活動もしていきたいと思っていて、おやきも継続して作っていくつもりです。現地の施設にも入らず下宿先も自分で探し本格的に“住む”ということにチャレンジします。私の性格なので、その後どこへ行くのか何をしているかもわかりません(笑)でも、この須坂やゲストハウス蔵が大好きなのでまた絶対に須坂に戻ってきたいです。最後にお世話になったの皆さまへの気持ちを込めて自分が“おやき”で得た収益で「大感謝祭(1月28日)」を開催します!私は居なくなりますが、蔵にはスタッフ含め、地元の方やゲストさんなどいつも楽しくて素敵な人が集まってくるので是非遊びに来てください。私はまた新たな環境で頑張ります』

 なおちゃんが須坂から居なくなるのはとても寂しいですが、次のステップも笑顔で楽しんでください!須坂からみんなが応援しています!!

大感謝祭の参加者とギターを持った堀口直美さんが長方形のテーブルを囲んで談笑している様子の写真

大感謝祭の様子。須坂で出会った方への想いを述べ、熱いものが込み上げていた。

のーすレポート

私が“なおちゃん”と“おやき“に出会ったのは移住前のこと。移住体験を兼ねて訪れたゲストハウス蔵で沢山のサポートをしてもらい妻とこの地を好きになった。
つまり私の移住はなおちゃん無しでは実現しなかった。
そんな彼女は一般職を辞めるとき父からは強く反対されたそうだ。それを押し切って次はまたアイルランドに。今回も反対されるかと思ったが「責任をもってやってこい」という言葉で終わったそうだ。
それはきっと娘が県外で得た成長を見て感じた気持ちがあったからではないだろうか。
辞めることで収入が少なくなってしまう大きな抵抗はあったが、将来の不安よりも「今、コミュニケーションスキルがない」という目の前の不安を解決したいと思い、踏み切ったそうだ。それが将来の不安を解消する自分なりの方法だと考えたからだ。
将来の不安が絶えないこの世の中で「目の前の不安を潰す努力をすることで、将来の大きな不安を解消する」という考えはとても参考になる考え方だと思った。
アイルランドに行ってしまうのは蔵も須坂にとっても本当に寂しいことだが、また新たな経験を引っ提げて成長していつか帰ってくるだろう。
その時に「良い町になったね」と言われるよう活動していきたい。

この記事を書いた人

北 直樹 (自称のーす)
1986年7月3日 石川県金沢市生まれ
2022年8月神奈川県川崎市より須坂市に移住し妻と2人暮らし
現在、須坂市地域おこし協力隊として活動中
趣味:レザークラフト、野球、DIYなど
好きな歌手:吉川晃司、氷室京介
主な活動:空き家バンク、信州芋煮会
夢は須坂市の特産品で6次産業の企画・開発・営業で起業すること

野外で作業する北直樹さんの写真

この記事に関するお問い合わせ先

総務部 政策推進課
所在地:〒382-8511 長野県須坂市大字須坂1528番地の1
電話番号:026-248-9017 ファックス:026-246-0750
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