移住者の声 須坂市地域おこし協力隊 北 直樹の『須坂キラビト』vol.13

更新日:2024年03月26日

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糀屋本藤醸造舗前でほほ笑む鈴木はるなさんの写真

手間をかけることが“糀屋”のプライド。バレエに青春を捧げた人生の挫折で見えてきたものとは / 須坂市地域おこし協力隊 北 直樹の『須坂キラビト』vol.13

地域おこし協力隊の北直樹(自称のーす)がお届けする連載「須坂キラビト」は、須坂市に関わるキラリと光る情熱を持つ人をテーマに、活動のきっかけ、これまでの苦労や未来の活動についてもお話を伺います。

第13回目は糀屋本藤醸造舗の鈴木はるなさんを取材しました!

糀屋本藤醸造舗の鈴木はるなさんの写真

鈴木はるなさんプロフィール

須坂市村石町出身

高校まで須坂市で過ごし、高校卒業後にバレエの留学でオランダへ。

オランダの王立芸術専門学校のバレエ課で2年半過ごし、その後スイスのセミプロバレエ団に半年在籍。

その後、介護職を経て本藤醸造舗に入社。現在5代目を承継するため、ネット通販事業を中心に工場管理なども日々勉強中

青春時代をとことん費やしたバレエとの別れ

 芋煮会のお味噌ではいつも大変お世話になっております!もともと、はるなさんにお味噌の相談をしたところからスタートしました。はるなさんがここで働く現在に至るまでの経緯をお聞きしたいです!

その節はありがとうございます。私はここ(糀屋本藤)が実家で、ここで生まれ育ちました(笑)
親からは「家業はいいから好きに生きなさい」と言われていたこともあり、幼少期からずっと続けていたバレエで生きようと、ヨーロッパに留学しました。

 高校卒業後に単身ヨーロッパで留学は凄い思い切りですね

バレエしか本当にやってこなかったので…2年半の留学後は実業団に所属してバレエを続けていたんですけど、半年でケガをしてしまい、そのケガの治療のために日本に戻ってくることになりました。
ヨーロッパに戻るつもりで籍も残していたんですけど、ケガがなかなか治らないことや日本の居心地の良さもあって、潮時かなと思い、バレエを辞めることにしました。

 海外まで挑戦して辞めるというのはよほどのケガだったんですね

そうですね。ずっと小さい頃からバレエ漬けの日々だったので、バレエの無い生活なんてまったく考えられませんでした。でもバレエ以外で何をしようと考えたときに、しっかり自分の心に向き合いたい!と思って。
私が好きだった「人と話すこと」「昔話を聞くこと」ができる、もともと興味があった介護の世界に飛び込むことにしました

 そこはココではなかったんですね!

はい、本業(糀屋)は本当に一切頭にありませんでした(笑)。
高山村の介護施設で8年程働いて、いろいろな経験を積ませてもらいました。小規模の施設だったので、利用者とも密な関係を作ることが出来たし、そこで携わった人と今でも仕事を一緒にさせてもらっています。田舎らしいご縁ですね

店内で棚に置かれた瓶詰商品を確認する鈴木はるなさんの横顔写真

大きな転機。営業マンだった夫の入社と子育て

 ここに入る転機は?

実は結婚を機に夫が「営業マンとして家業に入りたい」という話をしてくれたんです。そこで初めて家業のことを考えることになりました。
実は夫の方が私より入社が早いんです。私自身、三姉妹の長女だったので、何となく私かなという思いはありましたが…

 本当に全く「継ぐ」という考えは無かったんですね!

そうなんです。その後も結局は介護職を続けていたんですけど、2人目の子が生まれたタイミングで介護職を辞めることにしました。
でも働くことも好きだったので、家業を継ぐ覚悟で糀屋本藤に入社することにしました。

 子育て期間真っただの中での挑戦。苦労も多かったのでは?

育児に関するところでは、とにかく身の回りいる人に頼らせてもらって、何とか乗り越えることができました。そもそも育児がちゃんと出来たかはわからないんですけど…。
最初はインターネット通販など内部の仕事を中心にやっていましたが、子供も少しづつ手がかからなくなってきたので、今後は工場管理や製造に携わっていく予定です。

小さい頃から見ていた“糀屋”の世界

 ここで生まれ育ったということは小さいころから見ていた景色もあるのかなと思います。

今、日本でも和食の文化が衰退していって“糀”の需要もどんどん減ってきているんです。知り合いの会社など、毎年必ずお店が無くなっていく、そんな業界になってしまいました。昔はPRせずとも、文化として買ってもらえていたものですが、今はそういうわけにもいきません。もっと根本の“発酵文化”を絶やさないようにするための工夫や活動もしています。

 小学校などでの食育・体験授業とか?

はい、子供たちや地域の人に味噌づくりをしてもらう活動もその一つです。
日本の食文化は多様化してきていて、和食は今まで家で食べることができる当然のものだったけど、今は“伝えないと残っていかない文化”になってしまったと思っているんです。普段の食事から発酵食品に触れている子供達を増やして伝統的な食文化に親しんでいないと、業界全体がどんどん苦しくなっていくので…。
ここにある多目的ホールを使って、地域の方にみそ造り体験をして頂いたり、発酵文化を伝えるのとは別でコンサートやワイン教室なんかも開催しました。普段はピアノ教室にも使ってもらったり、南佳孝さんが来てコンサートしたこともあるんです。即完売だったとか(笑)

 とても味噌屋さんと思えない取り組みです!

社長もここで仕事ができているのは“地域のお陰だ”ということを強く口にしていて、ただのお店じゃなく、地域の方とも触れ合える場所にしたいという想いも強かったそうです。あとは音楽とか芸術が好きな家系なので、自然と「こういうことをしたい!」というところもあったみたいです。

棚や箱、冷蔵庫に商品が並ぶ木を基調とした糀屋本藤醸造舗店内の写真

糀屋本藤醸造舗の店内写真

信州芋煮会でお馴染み!特選味噌・玉造味噌の秘密

 そろそろ味噌の秘密について教えてください!

弊社の味噌が支持される理由としては、これはどこの蔵も同じなんですけど「蔵付き酵母」のお陰が大きいんです。蔵付き酵母っていうのは“蔵に住んでいる酵母(菌)”のことで、それぞれの蔵に独自の酵母が住んでいると言われています。この酵母が味に大きく関わるという研究結果でも出ていて、同じ原料で同じ配合のものを仕込んでも、それぞれの蔵に住んでいる酵母によって味が変化するんです。特に弊社は味噌を仕込む際に木桶を使用しているので、そういった有用な菌がより住みやすい環境でもあると考えています。ほかにも県内産にもこだわっているんですが、どうしても県内産だけでは調達できないものも出て来るので、それは“国産”としてこだわっています

味噌を仕込む大きな木桶が並べられた写真

味噌を仕込む木桶

棚に陳列された特選味噌とPOPの写真

特選みそ

 そうだったんですね。それがあの“特選味噌”を生んでいるんですね。作り方などにも一工夫あるのでしょうか?

味噌自体はどこの会社もほとんど工程も原料にほとんど同じだと思うんです。ですが、私たちは大手メーカーと違って、大量に商品を作れるわけではないので、それを特徴にして、製造工程に敢えて非効率な人の手を加えています。それは「温度管理」の部分です。今は機械によって自動化されている部分を弊社では人手のままに残しています。コンディションを見極めて温度管理をすることで、機械には出せない風味を出すことができるんです。自然の温度に左右されながら熟成させるということが大切だと思っているんです

 世の中、効率化が何かと叫ばれていますが、非効率な部分も重要なんですね。次に食べるときは、その背景も考えながら食べてみたいです!

ひと昔前は「安いものを多く届ける」という時代でしたが、今は「モノの価値」を皆さんがしっかりと感じて買う時代。だからこそ、私達も評価されるようになってきたし、今の時代が後押ししてくれる部分も少なからずあると考えています

糀が生んだヒット商品!甘酒

 実は甘酒もすごい本藤さん。昨年度には県知事賞も受賞されました。そんな甘酒について教えてください。

糀商品の1つで、昔から作っていたんです。この甘酒に使われている糀も温度管理で差が出るんです。私たちはそこも人がやっているからこそ、この味を出せるんです。
糀の差はプロが見れば見た目でわかるくらいで、機械でも一定の味までは美味しくは出来るんです。でも、それ以上の良質なものを作ろうと思うと、人の手がどうしても必要になるんです。時代とは逆行しているかもしれませんが“糀屋”として、良いものを届けるために非効率な部分も残してやってきて、手間暇かけてできたものの味わいの違いが、今回評価された理由だと思っています

 ありがとうございます。それだけ世の中に良いものが届けられるのが羨ましいです。

このあたりは私達が“良い”と思ってやっていることで、全ての消費者にイコールの話では無いんです。時代でニーズも変わるし、弊社としては今までのベストをずっと保ってきていますが、その良さをうまく伝えられないというもどかしさもありました。社員でブランディングの勉強もしたり、SNSなんかも活用しています。昔からのファンにはSNSでは伝わらないので、そういったみなさんには、営業車や配達で回ることも続けています。宅急便で送ればそれまでなんですが、やっぱり直接会って、お茶をいただきながら、感謝を伝えることを無くしたくないなと思っています

おわりに

 定番コーナーです!「夢」を教えてください!

ここを継ぐって決めたときから、強い使命感をもってこの仕事をやっています。たとえ私の代で仕事が終わったとしても、ここに糀屋があったという事実をしっかり残していく。
私のバレエの恩師が90歳過ぎなんですけど、今でもバレエを広める活動をしています。そんな風に私もなりたいと思っていて、我ごとだけじゃなく業界全体を考えて私自身が何ができるか。そんなことを考えて実行できる人間になるのが私の“夢”ですかね。まだまだ未熟ですが、糀屋本藤の歴史でも“女性社長”は初めてなので、色々とチャレンジしていきたいです

 はるなさんなら実現できそうな気がします、そんなパワーを強く感じました。ロングインタビューありがとうございました!

壁に貼られた白文字で糀屋本藤醸造舗と書かれた黒色の前掛けの写真

のーすレコメンド

棚に陳列された玉造りみそとPOPの写真

玉造味噌

芋煮会でもおなじみの味噌。特選味噌8割に玉造味噌2割を入れるのが、のーす風。

この記事を書いた人

野外にて、はにかみながら下方向を向いている北 直樹さんの写真

北 直樹(自称のーす)

1986年7月3日 石川県金沢市生まれ

2022年8月神奈川県川崎市より須坂市に移住し妻と二人暮らし

現在、須坂市地域おこし協力隊として活動中

  • 趣味:レザークラフト、野球、DIYなど
  • 好きな歌手:吉川晃司、氷室京介
  • 主な活動:空き家バンク、信州芋煮会

夢は須坂市の特産品で6次産業の企画・開発・営業で起業すること

この記事に関するお問い合わせ先

総務部 政策推進課
所在地:〒382-8511 長野県須坂市大字須坂1528番地の1
電話番号:026-248-9017 ファックス:026-246-0750
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