

旧園里学校
きゅうそのさとがっこう
指定区分 | 須坂市指定有形文化財 |
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所在地 | 須坂市大字豊丘1076番地 |
所有者氏名 または名称 |
須坂市 |
須坂市指定文化財 平成5年4月1日指定
園里学校は、明治6年に小山村止善学校の支校として、灰野村の地蔵堂を利用して開校しました。その後地蔵堂の焼失により、明治12年に平屋建て40坪の校舎が新築されました。この間に競進学校と改称し、更に明治15年に園里村立園里学校と改称しました。翌明治16年に児童数の増加に伴って、現存の二階建て校舎が新築されました。
主屋の建築様式は、外壁を土造りにし、その隅の部分には漆喰を盛り上げて墨石を表しています。玄関の柱は木製円柱に筋彫りを施した洋風で、古い記録によると、玄関の上には、六角形の塔がついていました。
このような建築様式は、明治20年より以前の学校建築などに用いられた擬様式(洋風建築と日本建築様式の折衷様式)の特徴をよく示しており、明治前期の公建築の動向を具体的に物語るものです。
この校舎は、平成3年から同4年にかけて、建設当時の様式に近づけ、ほぼ完全な形に復元したものです。
平成13年10月設置
須坂市教育委員会
案内看板より
※「擬様式」は、大正期より使用された名称で、現在一般的には「擬洋風建築」という名称が使われています。
旧園里学校は豊丘字新田にあり、明治16(1883)年に上高井郡園里村立園里学校の校舎として建てられました。この校舎は明治10年代まで役所や学校などに多く使われた、擬洋風(ぎようふう)建築と呼ばれる、日本建築を基礎とした西洋建築のデザインを採用しています。主屋の外観は、外壁が土蔵造で屋根は桟瓦葺(さんかわらぶき)と和風ですが、正面の玄関ポーチには、ギリシャ建築を思わせる円柱が使われ、外壁の四隅の角には漆喰を盛り上げて黒く塗り、石積みを模した装飾がされるなど随所に擬洋風が見られます。
旧園里学校は明治6(1873)年に小山村の止善(しぜん)学校の支校として、旧地蔵堂の建物を使い、開かれたことに始まります。明治12(1879)年に競(きょう)進(しん)学校と改称され、明治15(1882)年に園里村立園里学校と改名されました。
昭和4(1929)年の校舎新築移転以降、豊丘村役場や市福祉企業センターなどに利用された後、平成4(1992)年、復元修復工事により明治時代当時の姿に復元されました。
平成29年度に地域住民主体の豊丘地域活性化連絡協議会によって、「園里郷土資料館」としてオープンしました。(関連リンクは、下記をご覧ください。)
多くの人々の生活に関わってきた旧園里学校ですが、須坂の教育の様子を伝える重要な役割を今も担っています。
『須坂市報 「須坂市の文化財シリーズ54」(平成25年2月)』より(一部修正)
関連リンク
- 私が選ぶ須坂百景♯026 旧園里学校(豊丘町)
- 須坂市観光名所めぐり - 突撃取材「旧園里学校」 2012/03/29
- 須坂新聞WEBサイト 豊丘地域公民館改築へ安全祈願(2015.07.25)
- 須坂新聞WEBサイト 郷土資料の展示を計画~須坂市豊丘地域住民が旧園里学校に(2016.09.24)
- 豊丘地域活性化連絡協議会 - この春オープンの園里郷土資料館です: 2017/02/18
- 豊丘地域の情報 - 「園里郷土資料館」4月8日のオープン目指して準備中: 2017/03/01
- 須坂新聞WEBサイト 園里郷土資料館が開館~明治~昭和の古民具など展示(2017.04.15)
- ”園里郷土資料館がオープン!!” ご案内チラシ(平成29年4月8日) PDFファイル形式
- 旧園里学校について(年表、外観特徴)PDFファイル形式
- 園里郷土資料館
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