田中邦治 胸像 (臥竜山)
たなかくにじ きょうぞう (がりゅうざん)
所在地 | 須坂市小山町 |
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田中邦治は明治16年に穀町に生まれました。子どもの頃から政治に興味を持ち、大人に混じって論議を戦わせることが好きだったそうです。
邦治の政治家としての第1歩は、大正2年に須坂町(後の須坂市)の町会議員に当選したことから始まりました。邦治はこの時30歳、その後5回再選されることになります。同じころ、現在の須坂市と若穂地域、小布施町、高山村を合わせて“上高井郡”とする「郡制」が敷かれていましたが、邦治はここでも郡会議員として活躍。大正8年には議長に選ばれています。さらに大正12年には長野県会議員に初当選し、その後4回再選される間に副議長も務めました。
昭和8年には須坂町長に就任し、昭和21年まで連続14年間、町長を務めています。当時は、昭和4年からの世界恐慌の波を受けて、須坂を支えていた製糸業が急激に衰退を始めるなど、景気は大変厳しい状態でした。また、日に日に戦時色も濃くなりそのまま太平洋戦争へという激動の時代を担ったといえます。そんな中邦治は、昭和11年から17年まで同時に衆議院議員も務め、国政にも携わっていました。
戦後、GHQの政策により公職追放となりましたが26年には解除。昭和33年、75歳の時ついに第2代須坂市長となりました。病気のため在任期間は短く終わりましたが、後の旭ヶ丘工場団地と住宅団地の造成や、金井原通り等の道路整備など現在の須坂市の基礎を築いたといえます。辞職後は多くの財産を市に寄附し、それにより市の奨学金制度が樹立するなど須坂市に大きく貢献した人物でした。これら数々の功績をたたえて昭和35年に須坂市で初めて名誉市民の称号が贈られました。
『須坂市報 「郷土の先人たち」(平成18年10月)』より
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