しょうげんじあと・とくほんしょうにん
寛文年間(1661~1673)松代の黄檗(おうばく)宗恵明寺二世良寂が開山。その弟子訳山僧が建立、明治の神仏分離令により廃寺。墓はそれぞれ緑を求めて他の寺へ、観音像、仏具などは大広院に移された。参道に南無阿弥陀仏の万霊塔(徳本上人の名号碑)が残っている。 長らく公会堂として使われ跡地に下八町公会堂が建てられた。高甫地域づくり推進委員会平成25年3月「高甫地域 史跡ハンドブック」より
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