
勝善寺文書(中世古文書)
しょうぜんじもんじょ(ちゅうせいこもんじょ)
指定区分 | 須坂市指定有形文化財 |
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所在地 | 須坂市大字須坂122 |
所有者氏名 または名称 |
勝善寺 |
勝善寺は正治元年(1199)に、明空(井上頼重)によって開かれたと伝えられています。また、下総磯部の勝願寺を本寺とする、磯部6カ寺にも数えられます。
創建当初は水内郡中俣村(長野市柳原)にありましたが、慶長3年(1588)海津城主田丸直昌の代に、高井郡八町村に移り、元和9年(1623)には、当時館町の整備を行っていた第二代須坂藩主堀直升の招きで、館町の南にあたる現在地(須坂市上町)に寺領21石、1万5000坪を受領し移りました。
江戸時代に、水戸徳川家の血縁関係者が婿入りしたとされ、それ以来、副紋として葵紋が使用されています。
所蔵する約600点の古文書中、「信濃史料叢書」に搭載された10通は長野県の中世史を研究する重要な史料として市文化財に指定されています。
その内2点は浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)と織田信長が戦った石山合戦関係や、3点は武田勝頼時代の所領関係、4点は武田氏滅亡後の寺領関係、残る1点は本願寺12世(東本願寺初代)教如上人の寿像裏書になります。
400年以上前の文書の数々が、勝善寺の長い歴史を今に伝えています。
『須坂市報 「須坂市の文化財シリーズ63」(平成25年11月)』より
「信濃史料叢書 」に登載された10通
・武田勝頼軍役状
・勝善寺順西起請文案
・勝善寺順西注文
・勝善寺順西書状
・下間頼廉書状
・森長可禁制
・下間頼龍書状案
・田丸直昌書状
・田丸直昌黒印状
・教如寿像裏書
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