

元板倉家(建造物)
もといたくらけ(けんぞうぶつ)
指定区分 | 須坂市指定有形文化財 |
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所在地 | 須坂市大字野辺1386-8 (野辺町) |
所有者氏名 または名称 |
須坂市 |
須坂市指定有形文化財
元板倉家
平成24年2月29日指定
元板倉家は須坂藩医板倉雄碩の居宅で、慶応元(1865)年に建築されました。中2階の部屋は15畳敷です。そこで寺小屋を開き、読・書・珠(算)を教えました。塾生の数は132人にのぼったと記録されています。
藩医となったおり、藩主の命で姓を重倉から板倉に改め板倉雄碩となりました。
父、重倉春逸も須坂藩医を勤めており、雄碩は幼いころから父の後を継ぐために医者を志し、長崎に遊学し解剖を行うなど西洋の学問を身につけ、松代藩の佐久間象山とも交流があったと伝えられています。
明治中頃より須坂の製糸王といわれた越寿三郎の別邸となったこの建物は、平成7年度に太子町より、現在地に移転復元したものです。
平成24年11月設置 須坂市教育委員会
案内看板より
応元年(1865)の建築。須坂藩医板倉雄碩(いたくら ゆうせき)の居宅。
父重倉春逸は須坂藩の御殿医を勤め、傍ら自宅に寺小屋を開いて、子弟数十名に読書を授けた。雄碩も父と同じく医学の傍ら弘化より嘉永に至る間、自宅二階の十五畳敷きの部屋で私塾(寺子屋)を開き、読、書、珠(算)を教え、子弟は百数十余名に及んだ。雄碩は名利に恬淡で権勢に媚びず、「医は仁術なり」と称し、善光寺平一円に亘る名医と称された。佐久間象山に随意し蘭学を学び薬学に関する往復文書・長崎遊学中の人体解剖書等が秘蔵されている。 明治期より越寿三郎の別邸となった。
須坂アートパーク内 須坂市歴史的建物園
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