
ギャラリーや美術館で須坂の歴史に触れましょう。
江戸時代、須坂藩主の館町として栄えた須坂市は、明治時代から昭和時代にかけて生糸の町として発展しました。その際、道路計画が追い付かないまま都市化が進んだため、細い路地が入り組み、別名「巨大迷路の町」と呼ばれる独自の町並みを形成しました。半日コースは、そんな須坂市の町を、時間をかけてゆっくり巡ることができるコース。随所にある町家や繭蔵を眺めつつ、それらの建物を活かしたギャラリーや美術館で須坂の歴史に触れましょう。

※時間は徒歩の目安です
1 須坂駅
長野電鉄長野線の駅として、地元の人に多く利用されています。改札口は2階にあり、階段を降りると地上のプラットホームに繋がっています。須坂駅には、かつて新宿~箱根間を結んだ特急「ロマンスカー」が走っています。現在は長野~湯田中間を結ぶ特急「ゆけむり」号として活躍。都心で暮らす人が一度は憧れた列車に予約をせず乗車できるとあって、根強い人気を誇っています。また、黄色と赤のリンゴカラーの「0系OS」も人気です。
2観光案内所(須坂市観光協会)
須坂駅前にあるシルキービルの2階に開設されている観光案内所です。須坂市の観光案内、各種パンフレットや地図の無料配布、滞在時間に合わせた市内観光コースの提案などを行っています。また、事前にメールや電話で問い合わせた場合、無料で資料の郵送も行ってくれます。観光案内所の奥には市民団体のためのギャラリーがあり、地元の学生が描いた絵やポスターなどの作品を展示しています。市内観光の前に立ち寄りたい場所です。
3須坂クラシック美術館
明治から昭和まで生糸の町として隆盛を極めた須坂市の一角、蔵の町並みには、製糸家の屋敷や繭蔵などが数多く現存しています。その蔵の町並みの入り口に佇むクラシック美術館は、呉服商、銀行業、製糸業などで功績を残した牧新七(まきしんしち)の館を改装したもので、現存する須坂市の伝統的町家のなかでも最大規模を誇る建物のひとつです。館内には日本画家・岡信孝氏から寄贈された民芸品のコレクション約2000点のほか、大正ガラス、李朝の家具などが展示されています。
4須坂市蔵のまち観光交流センター
須坂駅から蔵の町並みに入ったすぐ左手にある観光交流センター。明治20年代に建築された豪壮な繭蔵を改装した建物1階では、スタッフによる観光案内、市民のクラフト作品や地場産品の販売、レンタサイクル、手荷物の無料預かりなどが行われています。2階は市民のための有料貸しホールとして開放。市民と観光客の交流の場となっています。また、毎月第二日曜の朝10時からは「蔵の朝市」も開催。きのこ汁のふるまいや雑貨の販売が行われます。
5蔵の町並み(旧三善)
観光交流センターのすぐ目の前に製糸家であった牧茂助が明治期に建てた館、旧三善があります。建物を正面に見て左から土蔵、門、母屋兼店という構造は、隣にあるクラシック美術館と配置が似ています。土蔵、母屋、塀の下にはぼた餅石積みがあります。これは、自然石の丸みを活かしながらぼた餅状に加工したものを、紙が入る隙間もないほど緻密に積み上げたもの。現在のような加工機械がなかった時代の職人技の素晴らしさを物語っています。
6ふれあい館 まゆぐら
明治期に建てられた旧田尻製糸の繭の保存庫・繭蔵を移転・改修した施設。間口7.2m、奥行18m、3階建の建物で、湿気や温度変化に弱い繭を守るため、通気性のよい構造になっています。現在、館内では地元ボランティアによる、須坂袖の機織り体験やまゆ人形作りが行われています。須坂袖に使う糸は地元ボランティアが桑、クルミ、リンゴの枝などを使って染めたもの。季節によっても種類が変わる草木染の柔らかな色合いを楽しむことができます。
7笠鉾会館ドリームホール
須坂市で毎年7月21日から25日に開催される祇園祭の祭屋台と各町の傘鉾11基を保管、展示しています。須坂市有形民俗文化財にも指定されている笠鉾は、疫病を招く疫神を笠の上部にある依代と呼ばれる飾りに集め、大神輿を守る役割がありました。次第に、各町でその装飾を競い合うようなり、絢爛豪華な意匠が施されるようになったと言われています。館内では大型ビジョンシアターで祭りの様子を観ることができるほか、ラウンジで休憩をすることができます。
8旧上高井郡役所
大正6(1916)年に建設、大正15(1926)年まで上高井郡役所として使用された建物。役所の閉鎖後は上高井郡連合事務所、長野県経済部出張所などに利用され、郡政・県政の中核を担ってきました。瓦葺、上げ下げ窓を持ち、水色のペンキを施された木造の洋風建築で、館内には建物に関する資料などが展示されています。また、1階2階にはそれぞれ、多目的交流室とホールがあり、市民のクラブ活動などに幅広く利用されています。
9綿幸サロン
製糸業が最盛期を迎えた大正時代、市内に集まった6000人超の工女たちは仕事終わり、仲町や上町で生活品や菓子などを買い求めました。当時、木綿や紬などの服を扱っていた老舗呉服店・綿幸もそんな工女たち親しまれた店のひとつです。店舗の隣には全国から集まる作家たちの絵画、陶器、染物、版画などの作品を展示する蔵のギャラリー・綿幸サロンがあります。2階には綿幸を経営する中野家縁の品々を展示する蔵の美術館があります。
10蔵の町並み(遠藤酒造場、須坂市ふれあい館 しらふじ、旧小田切家住宅)
綿幸サロンから穀町に向う国道406号線沿いには、明治期から大正期にかけて製糸業で繁栄した須坂市の町家が立ち並んでいます。須坂藩御用達の酒蔵として江戸期に創業した遠藤酒造場の隣には、白い花をつける白藤の老樹が中庭に鎮座する須坂市ふれあい館 しらふじがあります。明治期に建てられた丸田医院の洋館の診療所とその母屋からなるしらふじは、現在、市民クラブの活動拠点や観光施設として無料で開放されています。
11豪商の館 田中本家博物館
北信州随一の豪商であった田中本家。初代の田中新八は江戸中期の享保18年(1733)年に現在の須坂市穀町で、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売をはじました。その繁栄は素晴らしく、幕府・大名・旗本・公家などに出入りし、御用に応じて御用金の調達を行う御用達として、須坂の財政にも関わったほどでした。館内では代々の繁栄を伝える陶磁器、漆器、玩具、衣装、文書などが展示され、その質のよさから近代の正倉院とも呼ばれています。
12須坂駅

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