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移住者の声・市民の声

憧れの高原での生活 / ペンションあるぷ 木村さんオーナーご夫婦

ペンションあるぷの木村さんオーナーご夫婦は、信州の山が好きで、少しでも山の近くで暮らしたいという思いから脱サラをし、30年前に3人のお子さんを連れて峰の原高原に移住して来ました。ペンション名は、山腹にある牧場という意味のALP(アルプ)に因んだそうで、根子岳山腹の峰の原高原にぴったりの名前だと思い、オーナーが考えたのだそうです。ペンション経営の経緯や峰の原高原での暮らし、子育てについてお伺いしました。

●山が好きで、山の近くで暮らしたかった

「山登りは、社会人になってから始めました。山岳会に所属し、色んな山に登りました。その中でも信州の山は特に魅力的で、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳など、信州にある山は、殆ど登りました。縦走したり冬山も登りしました。危険な山にも登りました。東京生まれの私にとって、大自然の景色や、山が目の前にある日常には、憧れがありました。ふるさと回帰ではないですが、特に、山が好きな私にとっては、いつかは信州で暮らしたいという思いは、ごく自然だったと思います」

●銀行マンから脱サラし、ペンションオーナーへ

「東京で結婚をし、3人の子宝に恵まれ、マイホームも建てました。家を建てる時、まさか自分が峰の原高原に移住をするなんて思ってもいませんでした。転機は、峰の原高原のペンション分譲地のことを知ったことです。当時私は、銀行に勤めており、それなりの役職も授かっておりました。峰の原に訪れて、ピンク色に染まる北アルプスの景色を見たときに、感動して、ここでペンションをするぞと決めたんです。その時は、先のことは考えられませんでした。それほど私にとって忘れられない景色でした。お世話になった会社に、迷惑は掛けたくなかったので、事情を説明し、引き継ぎをしっかり行い退職しました」

●ペンション経営と子育て

「妻と3人の子供を連れて、右も左もわからない中でのペンション開業でした。昭和59年にオープンし、それからは、毎日バタバタと仕事をしておりました。折しも、ペンションブームの時でしたので、お客様には恵まれておりました。子供たちも自主的に仕事を手伝ってくれました。学校から戻ると直ぐ、自分からベッドメイクを手伝ってくれるんですが、私より早く出来てしまうものですから、よく子供たちには、お父さん遅いと怒られましたよ。子供たちは、ペンションの仕事も含めて、峰の原での生活を楽しんでいる様子でした。高校進学と共に、上田市内で下宿生活となりましたが、ペンションでの経験のお陰か、下宿生活も直ぐに慣れ、思えば、親離れは早かったように感じます」

●峰の原高原のペンションオーナーとの関わり

「峰の原高原に来た当初から、周辺のオーナーとの関わりがありました。峰の原高原は、観光地であり、殆どがペンションオーナーですので、イベントごとにオーナーが集まるんです。私たちも、イベントや景観整備に参加し、そこから徐々に先輩オーナーと親しくお付き合いさせて頂くようになりました。ペンション同士で、お子さんの通学なども交代で助け合っていました。同じ移住者で、ペンションオーナーだからこそ、お互いの仕事や生活の大変さもわかるんだと思います。ですので、ご近所同士の関わりに煩わしさを感じる方は、ここでの暮らしは大変だと思います。ですが、同じ移住者同士ですので、田舎とは違う距離感が、私は心地よく感じます」

●峰の原高原の四季折々の景色を感じてほしい

「ペンションあるぷは、第二ヴィレッジにあり、2階からは、北アルプスが綺麗に見えます。斜面の上にあり、手前には道があるので、景色が開けているんです。モルゲンロート (朝焼け)は、冬の北アルプスがピンク色に染まり、根子岳の影が映るんですが、アーベントロート(夕焼け)は、根子岳が真っ赤になります。30年たった今でも、感動する景色です。また、峰の原高原では、満天の星空を見ることができます。日没も、年間を通して位置が違うことがハッキリ分かります。ここで暮らすようになって、四季の移り変わりに敏感になりました。私は、生まれ変わっても、もう一度、峰の原高原で暮らしていきたいです。私の思いに共感していただける方に、峰の原の良さをお伝えしたいです」

 

ペンション あるぷ

長野県須坂市仁礼峰の原高原3153-860


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このページに関するお問い合わせ先
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