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須坂市立博物館開館50周年記念特別展「北村方義」 ~堀直虎の側近として活躍した偉大な藩士の足跡~

実施日等2016年12月10日~2017年02月19日

ポスター
堀直虎没後150祭プレ事業・須坂市立博物館開館50周年記念特別展
『北村方義』~堀直虎の側近として活躍した偉大な須坂藩士の足跡~
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北村方義(きたむら ほうぎ・まさよし) 
天保5年(1834)-明治34年(1901)

北村方義は、須坂藩第13代藩主 堀直虎の藩政改革で藩校「立成館」の教授に任命され、また、直虎没後は須坂藩の存続に力をそそぎ、混乱の続く幕末から明治への須坂藩の導き役となった人物です。直虎と共に学び、須坂藩政に尽力し、まさに時代を共にした人物で、その動向から当時の須坂を語ることのできる重要人物と言えます。
 また、方義は維新後の新政府においても重職を務め、職を退いた後は地元で子弟の教育につくしました。なおまた、江戸後期の儒学者・書家として著名な亀田鵬斎(ぼうさい)の流れを引く書でも知られ、市内外各地に方義が揮毫した書が残されており、郷土の偉人、文化人として欠かすことのできない存在です。
 本展では、北村方義の生涯に光をあてるなかで、当時の須坂藩の動向を探るとともに、市内外に残る方義の書・資料や須坂藩関係資料 約100点をご紹介します。。

【北村方義の生涯】
北村方義(きたむら ほうぎ・まさよし)は、天保(てんぽう)5年(1834年)に高井郡綿内村で生まれました。北村家の由来は、越後の新発田(しばた)城主[現 新潟県新発田市(須坂市の姉妹都市)にある新発田城の旧城]であった新発田重家(しばた しげいえ)が戦死により、その子の佐々木佐渡守満方(ささき さどのかみ みつかた)が信州に逃れて、綿内村に落ち着き、北村姓を名乗ったことが始まりと言われています。

弘化(こうか)元年(1844年)に方義の父が家を弟に譲り須坂藩に仕えたため、父とともに須坂に移り住みました。嘉永(かえい)5年(1852年)、19歳のときに江戸に遊学し、儒学家・書家として著名な亀田鵬斎(かめだ ぼうさい)を初代とする亀田塾の門下生となります。成績抜群で塾生の講師も勤めたようです。堀直虎も亀田塾で学びましたが、当時16歳でしたので同門の後輩という関係になります。直虎は、方義を敬い慕っており、方義が国許の須坂へ帰る際には、特別展チラシの上段に掲載してありますが「餞別の詩(せんべつのうた)」(特別展で原本を展示)を送っています。帰郷後、方義は、佐久郡・水内郡柏原等を歴遊し、講義を行っています。

文久(ぶんきゅう)元年(1861年)直虎は13代須坂藩主となり、藩政改革を行い、同2年(1862年)に方義は、藩校「立成館」の教授に任命され、側近として活躍しました。慶応(けいおう)3年(1867年)、幕末の困難な時期に直虎が重責の「若年寄兼外国惣奉行」を引き受けたときには、他の藩士とともに江戸へ赴き、勤王の立場から直虎に職を辞すように進言しましたが、直虎は方義の意見に理解を示しながらも、徳川への恩義などを理由として職を辞すことはありませんでした。

慶応4年(1868年)の直虎自刃後は、方義は須坂藩の存続に力をそそぎ、その後も14代藩主 直明(なおあき)を補佐し、混乱の続く幕末から明治への須坂藩の導き役となりました。また、明治新政府においても重職を勤め、明治4年(1871年)の廃藩置県後は、柏原の小学校や師範講習所飯山学校で教員を勤め、県庁で史誌編集に携わるなどしました。明治14年(1881年)に職を退いた後も長野市妻科(つましな)に居を移し、子弟の教育につくしており、子弟の数は約2,000人と言われています。

市内外各地に方義が揮毫(きごう)した書が残されており、本年7月に開館した旧小田切家住宅の襖にも方義の書が認められるなど、郷土の偉人、文化人として欠かすことのできない存在です。



【須坂藩13代藩主 堀直虎と自刃、叒譜(じゃくふ)】
激動の幕末、慶応3年(1867)12月5日に重責の若年寄兼外国惣奉行を引き受けた「直虎」に、藩政改革で藩校の教授となった側近の藩士 北村方義らが江戸へ赴き、勤王の立場から職を辞すように進言したが、「直虎」は、徳川の恩義に報いることなどを理由として職を辞すことはなかった。
 「直虎」の就任直後の12月9日には、「王政復古の大号令」が発せられ新政府が樹立。翌年1月に幕府軍が「鳥羽・伏見の戦い」で敗れた後、江戸城では、新政府に従うか徹底抗戦するか、連日協議が繰り返された。そうした中、「直虎」は、1月17日に第15代将軍 德川慶喜に何事かを諫言し自刃した。
 また、直虎が写本したといわれる桜図譜「叒譜」は250の桜花図が描かれ、品種の数は187種を数える。江戸時代の植物学(本草学)の有り様を伝え、細密画としても芸術性の高い貴重な文化財である。

【堀直虎関連ページ】
◎歴史小説「将軍慶喜を叱った男 堀直虎」(著者 江宮隆之 祥伝社発行)

堀直虎没後150年祭 記念公演「Straight Tiger ~直虎~」キャスト&スタッフ大募集!!
(募集締切りました)


★会期  平成28年12月10日(土)~ 平成29年2月19日(日)

★会場  須坂市立博物館

★入館料 高校生以上300円 小中学生 無料

★休館日 12月12日(月)・19日(月)・23日(金・祝)26日(月)
     12月29日(木)~1月3日(火)
     1月9日(月・祝)・16日(月)・23日(月)・30日(月)
     2月6日(月)・13日(月)

【関連イベント】

★講演会Ⅰ『北村方義の生きた時代と須坂藩』
 日時:平成29年1月15日(日)午後2時~3時30分
 講師:須坂市誌執筆者 涌井二夫先生
 会場:須坂市旧上高井郡役所(2階 多目的ホール1)
参加費:無料(事前申込不要)


★講演会Ⅱ『亀田流の書と北村方義』
 日時:平成29年1月29日(日)午後2時~3時30分
 講師:新潟大学教授・越佐文人研究会代表 岡村浩先生
 会場:須坂市立博物館(特別展示室)
参加費:無料(博物館入館料は必要、事前申込不要)


★展示解説(ギャラリートーク)
 日時:平成28年12月18日(日)、平成29年2月12日(日) 
    いずれも午前11時~
 会場:須坂市立博物館(展示室)
参加費:無料(博物館入館料は必要、事前申込不要)


★主催:須坂市・須坂市教育委員会

★後援:須坂市観光協会・信濃毎日新聞社・須坂新聞社・NHK長野放送局・SBC信越放送・NBS長野放送・TSBテレビ信州・abn長野朝日放送・須高ケーブルテレビ・FMぜんこうじ・FM長野
餞別のうた同門の亀田塾で学んでいた北村方義が国許の須坂へ帰る際に、堀直虎が送った漢詩「餞別の詩(せんべつのうた)」

(口語訳〕
互いに別れ互いに会うは、天の定めである。
既に二人は同門ながら、後輩と先輩だ。
親のため米を負う好ましい君は、老親を養うべく国に帰る。藩主の後継の恥ずべき私は、賢者(の君)を(江戸)に引き留め得ない。
君の作る詩の清新端麗なる対句は、韓愈(かんゆ)の域に達し、君の講ずる経書の千古不変の大義は、鄭玄(ていげん)に等しい。
最も憾むは空高く飛翔すべき君の鵬翼(ほうよく)の偉大なることだ。
君は、小鳥のミソサザイに飽き足らず、驚異の雄飛をするだろう。

(最終更新日:2017-10-11)

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このページに関するお問い合わせ先

市民共創部 生涯学習スポーツ課 博物館
TEL:026-245-0407
FAX:026-214-5548
所在地:須坂市臥竜2丁目4番1号